石見銀山 (石見銀山遺跡) Fukutomi design office  元に戻る TOP画面
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石見銀山(いわみぎんざん)は、島根県大田市大森町にあり、大森銀山(おおもりぎんざん)と呼ばれたり、古い時代の地名石見国の佐摩から佐摩銀山(さまぎんざん)とも呼ばれます。主に仙山(せんのやま)と要害山(ようがいさん)周辺の柵内(さくのうち)と呼ばれる320ha(f)のエリアが石見銀山になります。
 初期の石見国に、七ヵ所から十数ヵ所の銀山があったそうです。しかし佐摩銀山以外のほとんどが閉山し、総称していた石見銀山の名だけが残ったのではないかと考えられています。
 石見銀は1526年から約100年間をピークに、大名の軍資金,江戸幕府の財源としてこの地から大量に採掘されました。世界各地に輸出されたそうで、一時期世界の1/3を占める量だったそうです。
 今に残る遺跡として、坑道跡,代官所跡,山城跡,製錬所跡,銀山で働いていた人が生活していた集落跡,働いて亡くなった方を供養する地蔵仏やお寺などがあり、見学する場所も広範囲に広がっています。
石見銀山遺跡
間歩銀山に掘られた間歩(坑道)跡
集落跡,製錬所跡,道跡集落跡,製錬所跡(吹屋,炉),道跡
銀山街道銀,鉱石,生活物資が運搬された銀山街道
港銀の積み出し、生活物資の搬入がされた(鞆ヶ浦港,沖泊港)
山城銀山防衛を目的に建てられた山城
神社銀山が栄えることを願って建立された神社
お寺,石仏銀山で働いて亡くなられた方の供養のために造建されたお寺,石仏
銀山で主要な地位にいた方のお墓
近代製錬所跡近代製錬所跡


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