矢滝城跡 (石見銀山遺跡) Fukutomi design office 元に戻る TOP画面
 矢滝城跡(やたきじょうあと)は、標高634mの矢滝城山の頂上にあります。今なき城は、石見銀山防衛と交通路掌握の役割を担っていました。

■住所:島根県大田市祖式町と大田市温泉津町湯里(ゆさと)西田の境に位置します。
■矢滝城山:標高634.2m(国土地理院地図)
  温泉津町内で一番高い山

■石見銀山遺跡関連
 [石見銀山跡][五百羅漢][山吹城跡][石見城跡][矢筈城跡
 [鞆ヶ浦港][沖泊港
  
 #F052−11,−12 撮影C:2007/01/05 湯里西田から  #F052−13,−14 撮影C:2007/01/05
 #F052−1,−3 撮影C:2006/05/04 15:00 登山口  #F052−2,−4 撮影C:2006/05/04
 #F052−5,−5b 撮影C:2006/05/04 [拡大] [拡大  #F052−5a,−6 撮影C:2006/05/04 山頂
 #F052−7 撮影C:2006/05/04  #F052−8 撮影C:2006/05/04 アンテナ
 #F052−9 撮影C:2006/05/04 16:00 説明板  #F052−10 撮影C:2006/05/04 説明板拡大
■矢滝城跡(やたきじょうあと)
 矢滝城跡は、標高634mの矢滝城の頂上にあります。戦国時代に石見銀山の支配権をめぐって激しい争奪戦がありましたが、その争奪戦の拠点のひとつが矢滝城で、遅くとも享禄(きょうろく)元年(1528)には築城されていたと思われます。
 矢滝城跡の北側には石見銀山から温泉津港(ゆのつこう)に至る銀山街道(温泉津・沖泊:おきどまり)があり、更にその北側には矢筈城跡(やはずじょうあと)があります。銀山街道をはさむ形で築かれた矢滝城と矢筈城が一対となって銀山防衛、交通路掌握の機能を担(にな)っていました。
 山頂部の北側曲輪群(くるわぐん)には枡形(ますがた)をした入り口(虎口:こぐち)や竪堀(たてぼり)、南側曲輪群には堀切(ほりきり)などが残っています。
 

曲輪(くるわ):城の一つの区画(くかく)
虎口(こぐち):城を囲んだ塀に設けられた、主要な出入り口
竪堀(たてぼり):山の斜面の上下方向に堀(ほり)を掘って敵のの移動や侵入を防ぐもの
堀切(ほりきり):山の峰(みね)つづきの所などを掘って敵の侵入を防ぐもの


注:説明文をそのまま利用される場合は、許可が必要と思います。
  本ホームページでは大田市名所の観光案内として載せています。

矢滝の滝
 #F085 撮影C:2007/06/01  #F085−1 撮影C:2007/06/01
■矢滝の滝(やたきのたき):落差約3m,幅1〜1.5m,1段
 
■住所:大田市祖式町(そしきちょう) 祖式川(江の川水系)

撮影:又は撮影F:FUJIFILM FinePix−F410, 撮影C:OLYMPUS C−750UZoom, 撮影D:KONIKA MINOLTA DiMAGE−Z3

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