鞆ヶ浦 (島根県中部の風景) Fukutomi design office 元に戻る TOP画面
 鞆ヶ浦(ともがうら)は、銀山から直線6.5Kmの最短距離の港にあたり、銀山開発の初期(16世紀前半)に銀鉱石を積み出した港と伝えられています。 

■石見銀山遺跡関連
 [石見銀山跡][五百羅漢][山吹城跡][矢筈城跡][矢滝城跡
 [石見城跡][沖泊][銀山街道・鞆ヶ浦道][銀山街道・沖泊道
 
 #F063,−2 撮影C:2006/12/13 鞆ケ浦港 島から  #F063−1 撮影C:2006/12/13 鵜島厳島神社
 #F063−16,−17 撮影C:2007/04/08 鞆ケ浦港 島から  #F063−18,−19 撮影C:2007/04/08 鵜島厳島神社
 #F063−3a 撮影C:2006/12/13 岬北隣りの琴ケ浜  #F063−3b
 #F063−4 撮影C:2006/12/13 説明板  #F063−5 撮影C:2006/12/13 説明板拡大
鞆ヶ浦(ともがうら)

 鞆ヶ浦は石見銀山柵内(さくのうち)の仙ノ山(せんのやま)から直線距離で6.5Kmと、銀山から最短距離の港にあたり、銀山開発の初期に銀鉱石を積み出した港と伝えられています。
 銀山の歴史などをまとめた江戸時代の「石見銀山旧記(きゅうき)」には、「石見国馬路村(いわみこくまじむら)の灘古柳鞆岩(なだこりゅうともがいわ)の浦へ売船多く来たり」とあり、鉱石を買い付ける船で賑わった様子が書かれています。
 入り江には船の係留用の綱を結んだと伝えられる自然の岩盤をくり抜いた「鼻ぐり岩」が数箇所残っています。
 港の北側の小島には銀山を開発した神屋寿禎(かみやじゅてい)が天文4年(1535)に歓請(かんじょう)したと伝えられる弁財天(べんざいてん)を祀る「鵜島厳島神社(うのしまいつくしまじんじゃ)」があります。


柵内(さくのうち):
石見銀山遺跡の中心部。銀鉱石の採掘跡、製錬施設跡をはじめとしてそこで働いていた人々の集落跡、社寺跡、役所跡、山吹城跡など多くの遺跡が集中している。江戸時代に銀山管理のために周囲に柵を巡らしたことから柵内(さくのうち)と呼ぶ。
広さ:約320ha(f)
仙ノ山/仙山(せんのやま):
標高537mの山で、山頂部には純度の高い自然銀が露頭(ろとう)していたと思われ、銀山の由来を記した「石見銀山旧記」によれば、神屋寿禎が航海中に明るい光があるのを沖から見つけて銀山を発見したという。

注:説明文をそのまま利用される場合は、許可が必要と思います。
  本ホームページでは大田市名所の観光案内として載せています。


資料
■銀山発見当初は精錬技術がなく、銀鉱石そのままを沖泊から博多に運んでいました。1533年以降は、灰吹法(はいふきほう)と呼ばれる精錬技術により、銀のみ大量に運ばれるようになります。

■鵜島厳島神社(うのしまいつくしまじんじゃ)は神屋寿禎(かみやじゅてい)が建立したとも伝えられています。
■神屋寿禎(かみやじゅてい):
・博多の商人
・銀山を見つけ大内氏に許可を得て、本格的に銀山採掘を始めた人
・朝鮮の灰吹法を取り入れて銀の精錬を行った人。
 この精錬技術により、銀鉱石を運んでいたのが、銀のみ運べることになりました。

◆注意していること
 1.個人の住宅が風景に写った場合、写真全体の0.7%以下としています。(デパート,スーパー,ホテル,旅館,公共施設などは除く)
 2.写真が規制されている名所の場合は、撮影及び掲載可能か確認をして掲載しています。
撮影:又は撮影F:FUJIFILM FinePix−F410, 撮影C:OLYMPUS C−750UZoom, 撮影D:KONIKA MINOLTA DiMAGE−Z3

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