石見城跡 (石見銀山遺跡) Fukutomi design office 元に戻る TOP画面
 石見城(いわみじょう)は、銀山から日本海に至る街道沿いにあり、仁摩方面の街道を守り、銀山を押さえる拠点となっていました。
 城は竜ー山(りゅうがんざん)の頂上に築かれ、城手前は奇岩(きがん)そびえる絶壁の天然要害(ようがい)になっています。また、その壁を這い上がるノウゼンカズラは、秋に美しい紅葉を見せる、仁摩町の天然記念物に指定されています。

■竜ー山/竜厳山(りゅうがんざん):標高154m(国土地理院地図)

■石見銀山遺跡関連
 [石見銀山跡][五百羅漢][山吹城跡][矢筈城跡][矢滝城跡
 [鞆ヶ浦港][沖泊港
  
 #F059,−2 撮影C:2006/11/13 竜ー山  #F059−1 撮影C:2006/11/13 竜ー山
 #F059−6 撮影C:2006/11/26  #F059−7 撮影C:2006/11/26
 #F059−5 撮影C:2006/11/26 山の頂上当たりが城跡  #F059−10 撮影C:2007/02/02
 #F059−1b  #F059−15 撮影C:2008/02/19
 #F059−11 撮影C:2007/07/20 竜ー山 F059−12,13 撮影C:2007/07/20竜ー山ノウゼンカズラ
 #F059−12a 撮影F7:2007/07/23 相模原公園  #F059−12b 撮影F7:2007/07/23 相模原公園
■ノウゼンカズラ:ノウゼンカズラ科>ノウゼンカズラ属
 茎から気根を出して固着し、壁や樹木を這い上がりる、中国原産の蔓性(つるせい)植物です。幹は藤(フジ)に似ていて、かなり太くなります。花は夏から秋に黄橙から黄赤の花を咲かせ、先で5片に裂けたラッパ形をしています。
「ず」と「づ」は使い分けられているようです。
■葛(くず,かずら):凌霄葛(のうぜんかずら)
■葛篭(つづら):葛折り/九十九折り(つづらおり)
■蔓(つる):蔓性植物
 #F059−3 石見城跡 説明板  #F059−4a 説明板 地図拡大
石見城跡(いわみじようあと)

 石見銀山から日本海に至る街道沿いにあり、銀山を押さえる拠点的な城のひとつであったと考えられています。
標高153mの天然の要害(ようがい)として、岩山を削り出した曲輪(くるわ)と削り残した土塁(どるい)が山頂部に築かれています。
最高所にある主郭(しゅかく)とその東側の曲輪の間には深さ5.5mの掘切(ほりきり)があります。これらの曲輪には南側に土塁があり、南からの敵の侵攻に備えたものと思われます。また、東側の尾根づたい攻撃に対しはS字型に曲がった掘切が造られています。城の範囲は狭いながらも丁寧な造りの山城といえます。
なお、目の前にそびえる奇岩(きがん)の絶壁に、はい上っているノウゼンカヅラカズラは仁摩町の天然記念物に指定されています。
 


要害(ようがい):地勢(ちせい)が険(けわ)しく便利なこと
曲輪(くるわ):城の一つの区画
土塁(どるい):土で盛り上げた土手。石見城の場合は岩を削って土手状にしている。
主郭(しゅかく):城内で中心となる曲輪。近世城郭の本丸にあたる。
掘切(ほりきり):山の峰つづきの所などを掘って敵の侵入を防ぐもの

注:説明文をそのまま利用される場合は、許可が必要と思います。
  本ホームページでは大田市名所の観光案内として載せています。


周辺風景
 #F073−2  F073−3
 F073−1 駒繋岩  #F073 石見八幡宮
神話の遺跡 駒繋岩(こまつなぎいわ)

 太古の昔、この地方は海から数キロメートルの入り海となっていた。出雲風土記の巻頭に「国来い、国来い」と島根半島を引き寄せられた国引きの神様(八束水臣津野命やつかみずおみつののみこと)はこの地にこられて、両個の巨石に乗馬を繋(つな)いで対岸に聳(そび)える龍巌山に小船で渡られた。当時は岸辺に波が打ち寄せ、岩肌に這(は)う蔦葛(つたかずら)は見事に紅葉して錦のように美しかった、あまりの美しさにしばし時を過ごされ「鳴呼奇哉」と賞嘆(しょうたん)され、岩を見る国と言われた。これによって石見国と呼ぶようになったという伝承があり、国号(こくごう)発祥の地である。
 命の帰りが余り遅いので繋がれた(こま)が暴れて岩が二つに割れた、この岩は昔から神聖な岩であり、本来なれば、しめ縄を張るように言い伝えがあった。又この所には往古(おうこ)より、石見神社が祀られてあったが、中世の頃、龍巌山の中腹にある三滝権現に合祀して龍巌神社としてお祀りしてある。
(祭神は八束水臣津野命、三滝権現、随神の御三神)
 積年の風雪と岩を覆う葛(くず)の根によって割れたり倒れたりして荒廃したので所有者中原氏が管理保存のため整地保全し、神話の遺跡として後代に伝えるものである。
 大国の地にまつわる古代遺跡として伝承され石見八幡宮緑起書にも記述されている。石見風土記、石見八重葎の石見国二十六ヶ所名所に石見海の景物に記載されている。
 平成になってこの付近から古代の住居跡が発掘され駒岩遺跡として調査された。
注:本文は、岩後の白い看板に書かれている内容です。他のホームページで、駒繋岩,駒岩遺跡に関する記述のものは、ありませんでした。限られた方のみが使われている語なのかもしれません。
石見八幡宮(いわみはちまんぐう):
 大内氏が幕府の命により、石見国の守護大名となり永正十四年(1517)に建立したそうです。



八束 水臣 津野 命(やつか みずおみ つの のみこと):

蔦葛(つたかずら):茎がつる状に伸びた植物の総称
■「鳴呼(ああ)奇哉(きなりかな)」:「ああ言葉で言い表せないなあ」
国号(こくごう):昔使われた国の名称。石見国など
(こま):馬または子馬
往古(おうこ):昔の昔、大昔,往昔(おうむかし)
太古(たいこ):文字で記述されたものが無い昔
三滝権現(みたきごんげん):
龍巌神社(たついわじんじゃ):

駒岩遺跡:不明?

■石見/石海/岩海/以波美:いわみについて

■地図に記載されている「たついわ山」?
石見城跡のある山,石見八幡宮の後ろの山:竜ー山
 竜ー山/竜厳山(りゅうがんざん):標高153〜154m
石見八幡宮(竜ー山)から北に1.3Kmの山:龍巌山
 龍巌山(たついわやま):標高179m
注:現在 竜ー山/竜厳山/竜巌山/龍巌山について調査中です。


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