羅漢寺・五百羅漢 (石見銀山遺跡) Fukutomi design office 元に戻る TOP画面
 羅漢寺(らかんじ)の五百羅漢(ごひゃくらかん)は、大森の観世音寺住職 月海浄印という方が、銀山で働いていて亡くなられた方の供養や、労働者の安全のために発願され、多くの方の寄進によって、二十五年かかって明和三年(1766)3月に完成しました。また、羅漢寺はこの五百羅漢を護(まも)るために建立されたそうです。
 五百羅漢の造りは、小川を挟んだ寺向いの岩山に、三つの石窟が掘られ、小川にはそれぞれの石窟に入る石で出来た反り橋が架けられています。中央の石窟に釈迦三尊、左の石窟に阿難尊者を中心に251体、右の石窟に木蓮尊者を中心に250体が安置されています。
2007.03.17(1766)年代訂正,羅漢寺拝観案内資料より
■住所:島根県大田市大森町イ-804
■羅漢寺
 宗派:高野山真言宗
 山号:石室山(いしむろざん),寺号:羅漢寺
 本尊:阿弥陀如来,不動明王,愛染明王
 開山:月海浄印
 石見観音札所: 番外
■石見銀山遺跡関連
石見銀山跡][山吹城跡][石見城跡][矢筈城跡][矢滝城跡
 
五百羅漢
 #F012 撮影C:2004/07/06 [拡大  #F012−1 撮影C:2004/07/06
 大田市大森町にあります羅漢寺の五百羅漢です。この中の石像が全て福光石で彫られています。福光石でできた反り橋を渡ると、3つの石窟(せっくつ)があり、中に釈迦(しゃか),文殊(もんじゅ),普賢(ふげん)の3仏と、高さ約40cm前後の501体の羅漢座像が並んでいます。表情は全て違うもので、必ず自分と似たものがあるとされています。日本三大五百羅漢の木造り像のイメージとは異なります。表情は喜怒哀楽が表現され、いいこぶっていません。石窟の中にあるため、風雨に直接さらされることがないため、風化されず、細かい描写がそのまま残っています。五百羅漢が造られたのは、昔石見銀山で働いていて亡くなられた方の供養や、労働者の安全のためだそうです。(撮影者の話では、石窟内は撮影禁止で写真を撮ることは出来なかったそうです。遠くから2枚撮らせて頂いたものを掲載します。★外観写真のホームページ掲載につきましては羅漢寺の許可を得ました。) 石窟(せっくつ):岩石を掘って造ったほら穴,むろ穴。実際の五百羅漢の石窟の印象は石山を掘って造った石部屋。
釈迦如来(しゃかにょらい):仏教の教えを最初に説いた人。
文殊菩薩(もんじゅぼさつ):諸仏の知恵をつかさどる菩薩。釈迦の脇侍として向かって右に位置しています。
不言菩薩(ふげんぼさつ):如来の悟りの理法や禅定、修行の面をあらわす菩薩。釈迦の脇士(きょうじ)として向かって左に位置しています。
五百羅漢(ごひゃくらかん):羅漢とは古代インド語のサンスクリットにいう、アルハットの書訳”阿羅漢”の略で、悟りを得た人という意味になるそうです。お釈迦様の教えを後世の人々に伝えようとして、多数の阿羅漢が集まり、教えを編集し、お経にしました。この時の10人の釈迦の弟子と、選ばれた500人の弟子たちのことを五百羅漢というそうです。
 #F012−4,−5 撮影C:2006/11/26 [拡大]  #F012−2,−3 撮影C:2006/11/26
 #F012−19 撮影C:2008/02/19  #F012−20 撮影C:2008/02/19
 #F012−6b 撮影C:2007/01/16 石瓦  #F012−18 撮影C:2007/01/16 大宝筺印塔
 #F012−10 撮影C:2007/01/16  #F012−11 撮影C:2007/01/16
 F012−15 三百水 (お堂右横)  #F012−9 三百水
 三百水(さんびゃくすい)は五百羅漢が造られる以前の、十四世紀中にはすでに確認されていた湧き水です。銀山が栄えた頃、土地の人々はこの水を桶(おけ)で担いで銀山に「一荷三百文」で売り歩いたことから、三百水の名が付けられました。(羅漢寺拝観案内資料より) ■島根の名水百選:第77番

羅漢寺
 #F012−13 撮影C:2007/01/16  #F012−14 撮影C:2007/01/16

資料
■歴史
1741〜1743年:大森の観世音寺住職 月海浄印が発願
1745〜1747年:羅漢像の彫像が始められる
明和元年(1764):五百羅漢の石窟と羅漢寺完成
明和3年(1766)3月:三仏と501体の羅漢像が収まり五百羅漢完成
明和8年(1771):大宝筺印塔(だいほうきょういんとう)建立
■国指定の文化財
五百羅漢座像:温泉津町福光の石工(いしく)坪内平七とその子と
 一門が、約20年かけて彫像したものです。五百羅漢は仏と人間の
 中間的位置に存在し、羅漢像の表情や姿勢には細かな人間的な
 描写がなされています。いずれも40cm前後で、彩色されています。
大宝筺印塔(だいほうきょういんとう)/宝篋印塔:高さ557cm
 五百羅漢建立に協力した田中中納言宗武卿(徳川吉宗の次男)の
 菩提を供養するために、夫人とその子田安斉臣卿が明和8年
 (1771)に建立したものです。
反り橋(そりばし):福光石を十五枚組み合わせて造られた三基の橋

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