島根県中部1島根県名所案内
島根県中部1
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中部1 大田市>羅漢寺・五百羅漢・石見銀山・山吹城址,三瓶山,大江高山,馬路の高山,琴ヶ浜,五十猛漁港,,,出雲市>キララ多伎
中部2 江津市>星高山,岩瀧寺の滝,浅利海岸,,,邑智郡>断魚渓,川本
 
羅漢寺の五百羅漢五百羅漢
 F012 羅漢寺の五百羅漢  拡大  #F012−1 羅漢寺の五百羅漢(石窟)
 撮影C:2004/07/06  大田市大森町  撮影C:2004/07/06  大田市大森町
 大田市大森町にあります羅漢寺の五百羅漢です。この中の石像が全て福光石で彫られています。福光石でできた反り橋を渡ると、3つの石窟(せっくつ)があり、中に釈迦(しゃか),文殊(もんじゅ),普賢(ふげん)の3仏と、高さ約40cm前後の501体の羅漢座像が並んでいます。表情は全て違うもので、必ず自分と似たものがあるとされています。日本三大五百羅漢の木造り像のイメージとは異なります。表情は喜怒哀楽が表現され、いいこぶっていません。石窟の中にあるため、風雨に直接さらされることがないため、風化されず、細かい描写がそのまま残っています。五百羅漢が作られたのは昔石見銀山で働いていた労働者の安全と供養の為からだそうです。(撮影者の話では、石窟内は撮影禁止で写真を撮ることは出来なかったそうです。遠くから2枚撮らせて頂いたものを掲載します。★外観写真のホームページ掲載につきましては羅漢寺の許可を得ました。)

石窟(せっくつ):岩石を掘って造ったほら穴,むろ穴。実際の五百羅漢の石窟の印象は石山を掘って造った石部屋。
釈迦如来(しゃかにょらい):仏教の教えを最初に説いた人。
文殊菩薩(もんじゅぼさつ):諸仏の知恵をつかさどる菩薩。釈迦の脇侍として向かって右に位置しています。
不言菩薩(ふげんぼさつ):如来の悟りの理法や禅定、修行の面をあらわす菩薩。釈迦の脇士(きょうじ)として向かって左に位置しています。
五百羅漢(ごひゃくらかん):羅漢とは古代インド語のサンスクリットにいう、アルハットの書訳”阿羅漢”の略で、悟りを得た人という意味になるそうです。お釈迦様の教えを後世の人々に伝えようとして、多数の阿羅漢が集まり、教えを編集し、お経にしました。この時の10人の釈迦の弟子と、選ばれた500人の弟子たちのことを五百羅漢というそうです。
羅漢寺(らかんじ):石見観音札所 番外



石見銀山石見銀山遺跡山吹城址山吹城址
 F010 石見銀山跡(いわみぎんざんあと) 龍源寺間歩  F010−4 石見銀山跡 龍源寺間歩内
 撮影C:2003/12/07 大田市大森町 石見銀山遺跡  撮影C:2004/07/06 大田市大森町
 龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)は島根県中央部の大田市大森町を中心とする仁摩町,温泉津(ゆのつ)町にまたがって点在する石見銀山遺跡の一つです。1526年から約100年間をピークに、大名の軍資金,江戸幕府の財源としてこの地から大量の銀が採掘されました。世界各地に輸出されたそうで、一時世界の1/3を占める量だったそうです。1600年以後は取れる量も減り銅を採掘するようになり、その後1923年に閉山したそうです。
龍源寺間歩補足説明:江戸時代の中頃1715年に掘られた代官所直営の坑道です。公開されているのは273mですが、実際は600mあるそうです。抗口:高さ2.5×巾2m、坑内:高さ約2×巾1m。公開されていない奥:高さ約1×巾0.6m。坑道に入れるのはここだけだそうです。※訂正2012年1月:世界遺産登録後、大久保間歩も見学できることになりました。
間歩(まぶ):鉱山用語の坑道のこと。間分・間府・真吹(まぶ):鉱石を掘る為に掘った横穴,鉱石を掘るために坑内に入ることだそうです。水路とかトンネルの隧道(ずいどう)も間歩と呼んでいる地方があるそうです。古くは、地方によって漢字(間分,間府,間保)や読み方(まぶ,まんぷ,まんぼ)が違った様です。石見銀山では坑道のことを間歩(まぶ)といっていたそうですし、この漢字が使われていました。トンネルの隧道で使われている「まんぼ,まんぼう」はオランダ語のマンプウから由来するとされていて間歩からからではない様です。しかし「まんぼ,まんぼう」に関しての語源は今後の研究課題となっているそうです。
石見銀山鼠取り:銀を採掘する時一緒に砒石(ひせき)といわれる亜ヒ酸(As23)を多く含む岩石も産出されるそうです。昔、その砒石を砕いて粉にしたものが、ネズミの駆除剤として使われていました。大森銀山からは砒石は産出されていないそうで、県西部石見国の銅鉱山から産出されて、この名で販売されていたそうです。
 F013−4,−2 山吹城址周辺  F013,−1  山吹城址  [拡大
 撮影C:2003/12/07 大田市大森町 要害山 山頂  撮影C:2004/07/06 大田市大森町 要害山
 撮影者から送られてきたコメントをそのまま載せます。「銀山街道から、山吹城址まで登りました。雪が降り出して最悪の天気でしたが、眺めは日本海まで見わたすことができ、絶景でした。」 低い山(標高414m)の頂上付近にあるそうですが、急な階段と斜面で、歩いて1時間かかるそうです。紅葉はしているみたいですが、曇っていてそのままの色が写真に出ていないみたいです。 山吹城址(やまぶきじょうし):武将の大内義隆(おおうちよしたか)が石見銀山を所有し、その防衛の為に築城した山城跡です。築城は天文2年(1533)で、銀山所有の戦いにより、永禄5年(1562)に毛利氏に奪われ、1600年には徳川領となりました。
2007.03.11大内義隆に訂正


大仙隠岐国立公園 三瓶山三瓶山詳細
 F020 大山隠岐国立公園 三瓶山(春) 拡大  #F020−1 大山隠岐国立公園 三瓶山(春) 拡大
 撮影F:2004/04/19 大田市三瓶町 三瓶山   撮影F:2004/04/19 大田市三瓶町 浮布池
 三瓶山(さんべさん)は県中部の大山隠岐(だいせんおき)国立公園に指定される場所にある火山で、10万年前から活動を始め、幾度かの大きな噴火で誕生しました。5つの山が室の内と呼ばれる平地を丸く囲む、最高峰が1,126mの火山です。山裾は牧草や芝生が植えられた広い平原で、牛や馬が放牧されています。芝生の部分は広く開放され、休日はアウトドアスポーツを楽しむレジャー客でにぎわいます。近くに浮布池(うきぬののいけ)と呼ばれる大きな池があります。昔ボートで遊んだことがあり、浮葉植物の菱(ヒシ)が沢山浮いていた事を思い出します。
2006.03.04 噴火して出来た年号を3600年前に訂正
2006.08.26 10万年前から活動を始めるに訂正

浮布池:面積は135,000u (東京ドーム3個分弱),深さ1〜3.5m。地震によって噴出物の丘が崩れ、川がせき止められて出来た池だそうです。この様な湖を堰き止湖(せきとめこ)または堰寒湖(えんそくこ)というそうです。注記:漂着物が溜まって川を堰き止めた説もあります。
■柿本人麻呂が浮布池を詠んだ歌:万葉集 巻7−1249(羈旅)
「君がため 浮布池に菱つむと わが染めし袖ぬれにけるかも」 
※現代語訳
 あなたのために浮沼の池で 菱の実を摘もうとしたら
 あなたが染めてくれた わたしの衣が濡れてしまったよ
 F020−2 大山隠岐国立公園 三瓶山(夏) 拡大  #F020−3a 大山隠岐国立公園 三瓶山(夏)
 撮影C:2004/08/29 大田市三瓶町 三瓶山   撮影F7:2005/09/09 大田市三瓶町 浮布池 
 牛がいれば糞があります。見たいです・・。糞が見たい訳ではありませんが、そばにいるフンコロガシが見たいです。ここ15年都会暮らしの編集者は糞虫を見たことがありません。撮影者へのお願い「糞を転がしているフンコロガシを撮影して下さい」。日本に転がす種類がいたかどうか知りませんが、丸く引きずる仲間はいたと思います。 糞虫(ふんちゅう)を撮影するコツ:臭いのを我慢してひたすら糞をひっくり返す。糞虫は草が伸びていない場所で、数日経って中がまだ湿った糞の中かその近くにいます。後は糞の原型を写さない様に撮るのみ。
 #F020−10 大山隠岐国立公園内 姫逃池拡大  #F020−11 大山隠岐国立公園内 姫逃池
 撮影F7:2006/08/13 大田市三瓶町 三瓶自然館近く  撮影F7:2006/08/13 大田市三瓶町 三瓶自然館近く
 F020−5 大山隠岐国立公園 三瓶山(秋) [拡大  大山隠岐国立公園 三瓶山詳細 
 撮影C:2004/10/25 大田市 三瓶山周辺(ススキ原)  ---
 #F020−115 SANBE BURGER(サンベ バーガー)  #F020−116 三瓶自然館サヒメル
 撮影S10:2013/04/05 大田市 食べログ(カカクコム)食ベログ  撮影S10:2013/04/05 大田市 三瓶自然館


多伎町
 F039,−1 多伎海水浴場  #F039−2,−3 風車
 撮影F7:2005/09/08 出雲市多伎町 道の駅 キララ多伎  撮影F7:2005/09/08 出雲市多伎町 道の駅 キララ多伎
 キララ多伎(たき)という道の駅から撮影しました。前日台風14号が通過して行きましたから波がかなりあります。夏は海水浴やサーフィンの客でにぎわうそうです。出雲市多伎町は無花果(いちじく)の栽培が盛んで、特産品だそうです。品種は蓬莱柿(ほうらいし)が主もで、果実が大きく皮が薄く甘味があるのが特徴です。それを使ったジャムが沢山売られていましたので、一瓶購入しました。最近ジャムにゲル化材を使った物をよく見ます。あれはいけません。特にゼリーの様なジャムはジャム全体の人気を落とす原因になります。ジャム業会の方、売り上げ落ちていませんか? [いちじくジャム実物写真
<<8日11:40>>眠気を感じてきましたので、途中道の駅により休憩を兼ねて昼食をとりました。イチジクジャムを買い、4,5枚写真を撮って大田市駅にGO >>
 これだけ大きいと初期費用や維持管理はかなりのものと思います。運営維持は多伎町でされているそうですが、今後島根の観光にもつながりますので、維持管理費を抑えて、御努力下さることを願います。
■多伎町の風力発電に関する資料
 発電出力:定格850KW/機  平均的家庭約500世帯の電力
    風車2基⇒850KW/機×2機=1700KW。(1000世帯分)
    OptiSpeed制御 回転範囲60%変動に対応。
    注.ブレードの回転が1分間に14〜30回転する風速がある
      とき定格出力できる。
 発電機:Vestas V52−850KW(デンマーク ヴェスタス社製)
    出力電圧交流690V,周波数60Hz
 ブレード:長さ約25m、円運動した直径52m、重さ3.3t/枚
 回転軸までの高さ(ハブ高さ):49m タワーの高さ:45m 
 #F039−4 道の駅キララ多伎  #F039−5 多伎海水浴場
 撮影S10:2013/04/04 出雲市多伎町  撮影S10:2013/04/04 出雲市多伎町


久手・波根の海岸
 F057 波根海岸 立神岩,立神島  #FG07 久手港南防波堤灯台
 撮影C:2006/08/23 大田市 波根町(はねちょう)  撮影C:2006/08/23 大田市 久手(くて)
■立神岩(たてがみいわ):高さ約80mの断層が、海面からほぼ直角にそびえ立つ地層模様の美しい海岸岩です。白い縞は凝灰岩です。
 頂上に見える白い物は灯台で、岩の名から立神灯台といいます。
■立神島(たてがみじま):海食崖高さ47mの島で、第三紀中新世の大森層に属し、礫岩(れきがん),凝灰礫岩,砂岩,頁岩(けつがん)からなっています。
■立神灯台(たてがみとうだい):
・灯台表番号: 0817,世界識別番号F7338
・位置: 大田市波根  北緯35度14分47秒 東経132度31分39秒
・高さ: 地上から天辺まで10m,水面から灯火まで93m
・光方: 群閃白光 毎秒15秒に4閃光
・塗色及び構造: 白色,塔形,コンクリート造


掛戸松島
 F049 掛戸松島  #F049−1 掛戸松島  拡大



          
 撮影C:2006/01/05 大田市久手町柳瀬 波根西海岸  撮影C:2006/01/05 大田市久手町 波根西海岸
 写真は人口的につくられた幅広い水路から水が海に流れ込んでいる場所で、丁度海に浮かぶ松島が見える、市指定の観光名所です。
 昔、この地に一山隔てて日本海と接する波根湖と呼ばれる大きな湖があったそうです。その湖の水面は海面と同じぐらいの高さにあり、増水する時期になるとしばしば湖水が氾濫(はんらん)したそうです。鎌倉時代に壁となっている山を切崩して水路を作り、湖の水の一部を日本海に排出する工事をし、湖水の氾濫を抑えたそうです。掛戸松島が山を切崩す時に出来たものか、切崩した後に陸地から島が見える様になったものか詳しく知りませんが、下の説明看板から推測すると、山を切崩したことによって出来たものと思われ、現在の立ち姿は波の浸食によって完成したものと解釈されます。(正確なところは大田市教育委員会に聞く必要があります。)
 もともと湖水の水面と海面が同じぐらいの高さですから、降水量が多いときには問題があった様です。よって昭和18年(1943年)に公共事業として波根湖干拓事業が進められ、昭和26年(1951年)に54haの農地(たんぼ)にし、波根湖をなくしてしまったそうです。
 農地の地表高さと海面との関係で不思議に思われる方がおられると思いますので、補足します。農地より海面が高いため、排水を大型ポンプで行っているそうです。また水路には、逆流防止の水門も設けられ、安全対策がされているそうです。
■島の上に見える木はクロマツで、平成17年(2005年)の4月に3代目として移植されたそうです。初代のマツは昭和51年に松枯れという病気によて枯れ、昭和52年4月に新しいマツに移植したそうです。しかし平成16年(2004年)の台風によって再び折れ、現在の3代目にいたっているそうです。
 確かに昭和50年代に島根県中部のほとんどの海岸松が松枯れ病で立枯れていたことを思い出しました。秋でもないのに紅葉しているといわれたほどです。マツノマダラカミキリが媒介する線虫(センチュウ)がマツを枯らせたとか、大陸からの汚染された粉塵で酸性雨が降った影響などといわれていました。結局、結論はでていないと聞いています。
 福光海岸沖にも立派な1本松が生える松島がありました。やはり松枯れ病で枯れてしまい、現在は寂しい姿になっています。掛戸松島のマツに関しては、今後幾度かの自然災があったとしても、地元の方の強い思いが感じられますので、この景観は長く続くことと思います。
マツノマダラカミキリ:体長18〜27mm。体色は赤褐色から黒褐色で、不規則なまだら模様があります。衰弱したアカマツやクロマツに付き、幼虫が中の材を加害します。本種はマツノザイセンチュウの中間宿主で、この線虫(センチュウ)を媒介します。現在広範囲の松枯れは、カミキリムシやキクイムシの幼虫が原因というよりこの線虫によるものと考えられています。しかし衰弱したマツにしか線虫が繁殖しないことから、元々の原因は何らかの環境悪化があったと、考える人もいます。
マツクイムシの最新撃退方法:マツの幹の下部と上部に高電圧を加え、30mAの電流を流すことによって、マツクイムシの生殖能力を低下させる方法。現在、環境に優しい最も有効的方法とされています。
 #F049−2 掛戸松島  #F049−3 掛戸松島
 撮影C:2006/01/05 大田市久手町柳瀬 波根西海岸  撮影C:2006/08/23 大田市久手町柳瀬 波根西海岸
説明看板に書かれている内容
■掛戸松島(かけとのまつしま)
・大田市指定名勝 平成5年2月17日指定
・大田市 久手町 柳瀬 波根西海岸
・久手駅から徒歩で波根西海岸へ約十分位の所に要害山梶山切割(きりわり)から日本海に浮ぶ「掛戸松島」を望むことができる。
 この松島は鎌倉時代、徳治元年(1,306年)地元の郷土有馬次郎左衛門一政と、二代目の次郎左衛門尉宗茂が千数百人の夫役(ぶえき)を指揮して七ヶ年余の歳月を費やして開掘した所である。
 当時波根湖は増水期になると水が氾濫(はんらん)して住民は難渋(なんじゅう)しており、度々の災害に遂に山岳を開掘して、湖水の水を日本海へ疎水(そすい)することを遂行したのである。
 今は海水の浸食によって人口の跡はほとんど分からなくなっているが、奇岩怪石が海中に散乱しており、687年前の難工事がしのばれる。
 日本海の波間にすっくと立っている松島の絶景は、明治40年5月28日大正天皇が東宮殿下の時、山陰行啓の折にしばしご高覧(こうらん)され、昭和6年夏には簸川郡高松村出身の日本画家竹田霞村が「掛戸松島」を描いて広く世に紹介して以来「石東の名所」とよばれている。
・平成6年3月31日設置 大田市教育委員会 
■掛戸松島(かけとのまつしま/かけとまつしま)
■大田市(おおだし)久手町(くてちょう)柳瀬(やなぜ)
  波根西海岸(はねにしかいがん)
要害山(ようがいさん):標高414m,山吹城があった山
梶山:調べ中

名勝(めいしょう):景色のすぐれた所、名所
切割(きりわり):山や丘を切崩してつくった道
徳治(とくじ):花園天皇の時の年号
夫役(ぶえき/ぶやく):人身に課税したり、労役を課すること
開掘(かいくつ):?
氾濫(はんらん):水があふれること,洪水
疎水(そすい):カンガイ,給水の為に土地を切り開いてつくった水路
奇岩(きがん),怪石(かいせき):珍しい岩や石
行啓(ぎょうけい):皇室の方が外出されることを敬った語
高覧(こうらん):見る人を敬った(うやまった)語
石東(せきとう):石見地方の東
687年=平成5年−徳治元年 (2006年現在700年前)


静間町
 F084 近藤ヶ浜のハマナス  #F084−3 近藤ヶ浜のハマナス
 撮影C:2007/06/01 大田市静間(しずま)町垂水地区  撮影C:2007/06/01 大田市静間町垂水地区
 #F084−1 近藤ヶ浜のハマナス  #F084−2 近藤ヶ浜のハマナス
 写真の白い説明板内容  撮影C:2007/06/01 大田市静間町垂水地区
県指定天然記念物(昭和56年10月30日指定)
日本海側の海岸におけるハマナス自生西限地

 当海岸からおよそ100m東方に33uの自生西限地に約300株のハマナスが自生していたが、昭和53年1月の冬台風により全滅した。
 当時この地に30株位のハマナスが自生しており、これが次第に繁殖して500株以上に増加した。
 ハマナスはバラ科の一種で北は北海道から東北地方、北陸および山陰海岸の砂地に自生し次第に南下する傾向を示しており、現在この群生地が日本海側海岸における自生西限地である。
 ハマナスは5月頃には直径10cm位の濃紅な花をつけ晩夏(ばんか)には直径2cm位の果実(偽果)を付ける。 当地のハマナスは葉が小さく円形で花が紅色を呈(しめ)しているのが特色である。
指定区域は近藤1643番地内66u
平成2年9月15日 大田市教育委員会
■ハマナスの由来:浜辺の砂地に、小さな梨(なし)を思わせる果実を付けることから浜梨(ハマナシ)と付けられ、なまってハマナスと伝わったそうです。「そっただらことが、あるのかなす?」
 梨に似ているのは、熟す前の黄色っぽく硬い実の時の様で、熟すとトマトの様な色と形になるそうです。果実はお酒に漬けたり、甘みを加えてジャムなどにして食べるそうです。

■昭和57年版・島根県大百科事典に掲載される県内ハマナス自生地域
1.平田市河下(かわしも)
2.出雲市湖陵町差海(さしみ) 差海川河口 60u
3.大田市静間町垂水(たるみず) 近藤浜/近藤ヶ浜 33u
4.江津市敬川(うやがわ) 敬川河口
絶滅:隠岐諸島,大田市温泉津町,浜田市波子
注:その他に移植されたり、自生か移植か不明な地が存在するとありました。


大江高山頂上からの風景
 F036 大江高山頂上から(春)  #F036−1 大江高山頂上から(春) 拡大
 撮影C:2005/05/26 大田市(おおだし)大代町(おおしろちょう),祖式町(そしきちょう) 大江高山
 撮影者はギフチョウの幼虫の写真を撮るために大江高山に登ったそうです。遠くに浮いた島の様に見える部分が、島根半島の西端になります。この端っこに日御碕灯台(ひのみさきとうだい)があります。
島根半島(しまねはんとう):
 写真中央の鉄塔の立つ山は、馬路の高山といいます。手前の山々はかなりのこう配をもっています。大江高山周辺は火山活動で出来た山で、こう配の急な、おにぎり型や釣鐘型(つりがねがた)をしています。
馬路の高山(まじのたかやま):標高499.4m。地図には単に高山とありました。他の高山と区別するために場所の名が前に付いているそうです。左隣の山を城上山(標高411m)というそうです。
大江高山(おおえたかやま):標高808m
 #F036−2 大江高山頂上から(春)  #F036−3 大江高山頂上から(春)
 撮影C:2005/05/26 大田市 大江高山  撮影C:2005/05/26 大田市 大江高山
 写真中央に写る白い物体は、分かる人には分かる出雲ドームです。大江高山から出雲ドームまで46Kmの距離があり、10倍ズームで撮影したそうです。  遠くに見える中央右寄りの大きい山は三瓶山です。
三瓶山(さんべさん):3600万年前の噴火でできた山です。5つの山から成り立っていて、高さ1,125.9mのトロイデ型の火山です。
 F055 出雲ドーム  F036−7 出雲日御碕灯台 [詳細
 撮影F7:2005/09/08 出雲   撮影F7:2005/09/08 出雲市大社町 日御碕(ひのみさき) 
出雲ドーム(いずもどーむ):直径143m、高さ48.9mの日本最大の木造建造物だそうです。木造建造物として、高さのみで比べると世界最大の建造物になるそうです。形は傘に似ていて、骨組みがアメリカ産の木材で、周りにガラス繊維で出来た幕で覆われています。現在野球やサッカー,イベント会場として利用されています。



<<8日11:05>>時間もあまりありませんでしたから外観を撮影して大田市駅に向かいました。>>
出雲日御碕灯台(いずもひのみさきとうだい):
 日御碕灯台は外壁に整形された凝灰質砂岩、内壁にレンガをそれぞれ積み上げて造られた二重殻構造の灯台です。地震に強いということから、この構造にしたといわれています。外側が白いのは外壁の石が白いのではなく、白く塗装されているからです。高さは地上から天辺まで43.65mあり石造りでは日本一です。岬突端の岩場に建てられ、岩場の高さが海水面から24mありますから、海水面から灯台天辺まで67.65mあります。島根県の有名な観光名所の一つです。ちなみに世界一は横浜マリンタワーです。石造りの灯台とは違って鉄骨のタワーですから迫力はありますが、灯台らしくはありません。
2005.09.15海水面からの高さ訂正。
海水面から灯火まで63.3m。海水面から灯台天辺まで67.65m。
2005.09.29外壁の材質訂正。島根県八束郡森山産 凝灰質砂岩。
 #F036−4 大江高山(頂上近くの登り)  #F036−5 大江高山(頂上)
 撮影C:2005/05/26 大田市 大江高山  撮影C:2005/05/26 大田市 大江高山
 赤いテープはある間隔で木に巻き付けられ、登山道を表しているそうです。きつそうです。30度以上あるかもしれません。反対側に比較的なだらかな登山道があるそうですが、撮影者はこう配のきつい方をあえて登ったそうです。帰りの下りも大変で、「膝が笑う」を経験したそうです。  頂上には808mの看板とポストと風景のみ。あと座ってはいけない椅子があるそうです。売店,自販機はありません。おむすびとお茶は必要と、撮影者は長々ヽ( ̄▽ ̄)ノ語っていました。
 #A022 コケイラン(ラン科>コケイラン属)  #A030 ヒゴスミレ(スミレ科>スミレ属)
 #A013 カンアオイ(ミヤコアオイ)  #C081−3 ギフチョウ [詳細
■カンアオイ:(ギフチョウ幼虫が食べる草)
 寒葵(カンアオイ)は地方ごとに分類され、呼び名が違います。またミヤコアオイとか、ミヤコカンアオイとか寒(カン)を入れたり入れなかったり2つの名で呼ばれています。寒葵と呼ばれている理由は寒い冬でも枯れずに青いことからカンアオイと呼ばれています。
■ギフチョウ: トラ模様のキアゲハ似の中型のチョウ
模様から♂♀の判断は難しく、毛深いのが♂です。本種は山地の地形や気候など、ある条件がそろった場所だけに生息します。成虫はカタクリ,スミレ,サクラなどの花に集まり吸蜜します。成虫の期間は短く14日前後の命で、大江高山では毎年4月10日前後に♂が飛び始め、週遅れで♀が羽化し、5月始めには見れなくなります。


馬路
 F040,−2 琴ヶ浜海岸(夏終わり)  #F040−1 琴ヶ浜海岸(夏終わり) 拡大
 撮影F7:2005/09/08 大田市仁摩町馬路(おおだし.にまちょう.まじ) 琴ヶ浜海岸(ことがはまかいがん)
 砂浜の綺麗な海岸として有名で、浜の砂は石英(砂)が多く浜全体が鳴き砂です。鳴き砂の上を歩くとキュッ・キュッ・と音がします。特にここの鳴き砂の石英砂は全体いに占める割合が多く、高い音がでることから、この地に伝わる琴姫伝説の琴の音を思わせるとして、琴ヶ浜と呼ばれています。写真は台風が通過した後なので人はいませんが、7月〜8月は海水浴客で賑わい、ビーチバレーなどのイベントも幾つか行われています。
■最近は石英砂の表面が油成分や細かい粘土土で汚れている様で場所によってしか鳴かないそうです。また砂の表面が洗われる自然条件がある年のある時期には鳴きやすくなるそうです。鳴きにくい鳴き砂を鳴かすためには、鳴かせてみようという心構えとコツが必要です。心構えは家康にならってもらい、コツは土踏まずを丸くした様な足型で45度前方に素早く足を出し、砂を押し固める感じにする必要があります。実際は石英砂はサラサラしていますので押し固められることなく足が沈み、砂が下から上に擦れ合いながら出てきます。なるべく沢山の砂を瞬間に擦り合わせる作業が必要ということです。
 上の写真は松ヶ鼻と呼ばれる岬の方向(北北東)に撮影した写真です。海岸の長さは総延長2Kmもあります。
鳴き砂:浜辺や砂漠など砂がある場所を歩いたときキュッ・キュッ・と音がする砂を鳴き砂と呼んでいます。各地,個人の主張により鳴る砂,鳴り砂,鳴く砂とも呼ばれています。また聞こえる音も各地で、違うようで、石英砂の量が多く表面の汚れが少ないと高い音が出るそうです。
琴姫伝説
伝説1(琴ヶ浜観光協会):源氏と平家が戦っていた頃、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の姫が、桜の咲く時期石見のこの地に一人小船で漂着したそうです。姫は村人に助けられ、援助を受ける様になったことから、お礼に毎日琴を弾いたそうです。姫はその後病気で亡くなり、浜辺近くの丘に葬られたそうです。死後砂浜を歩くと、琴に似た音がする様になったそうです。(この説明文の中には仁摩町役場ホームページ内の琴ヶ浜観光説明に使用されている文があります。)
伝説2(島根県歴史書):昔琴の姫と呼ばれるうら若き女性が、ある事情から地位をすて、一人の女性を伴い小船で馬路の磯に着いたそうです。琴の姫は浜辺近くに板ぶきの家を作り、毎日琴を弾いては気を紛らしていたそうです。その後姫は病気になり、「わらわが成佛した時、この浜から琴の音が発するであろう」という遺言を残して亡くなったそうです。そしてその後浜辺を歩くと鳴り砂を生じる様になったそうです。
その他に少しづつ違った内容で伝えられています。
 #F063−3a 撮影C:2006/12/13 鞆ヶ浦の岬から  #F063−3b
 F037 馬路の高山(高山頂上付近 中継アンテナ)  #F037−1 馬路の高山(高山頂上付近 中継アンテナ)
 撮影C:2005/06/15 大田市仁摩町馬路 高山  撮影C:2005/06/15 大田市仁摩町馬路 高山
 撮影者は、風景写真や昆虫の写真を撮るために歩いて馬路の高山(まじのたかやま)を登ったそうです。頂上付近は侵入禁止で、頂上から見下ろした風景を撮影する状況になかったそうです。撮影できたのが、中継用のアンテナのみで落胆していました。中継用アンテナ右横奥に見える一番高い山が大江高山(おおえたかやま)になります。
馬路の高山(まじのたかやま):標高499.4m。
■2005.10.01合併により住所修正:
 大田市(おおだし)仁摩町(にまちょう)馬路(まじ)
 馬路の高山は許可なく登ることを禁止されている様です。撮影者は、風景写真や昆虫の写真を撮るために歩いて登ったそうですが、帰りの降り口近くで警察官に呼び止められ、職務質問を受けたそうです。すれ違ったNTTの方が不信に思って警察に連絡した様です。この写真も掲載して良いものか迷いましたが、周りは侵入禁止で何もない景色なので、撮影した2枚のアンテナ塔の写真を掲載します。

※地元在住のTさんからのメール情報2008.12.30,00:27
貴社の「島根観光名所案内」のページを拝見いたしました。そのなかで仁摩町馬路の「高山」下山後に警察官の職務質問を受けたとのことですが、あの山には頂上にNTT等の中継局があり、また中腹に自衛隊関連の通信施設があるため、左翼過激派とか他国工作員等による「鉄塔のボルト抜き」などの破壊工作を警戒しての事だと思います。
私が小・中学生の頃は、よく課外授業とか遠足で登った山でもあります。当時は登山道にフェンスやバリカーもなく、フリーパスで頂上まで登られたのですがねぇ・・・。


五十猛
 #F107,−4 五十猛漁港 動画  #F107−1,−5 五十猛漁港
 撮影F7:2008/04/28 大田市五十猛町(いそたけちょう)  撮影F7:2008/04/28 大田市五十猛町


◆注意していること
 1.個人の住宅が風景に写った場合、写真全体の0.7%以下としています。(デパート,ホテル,旅館,公共施設などは除く)
 2.写真が規制されている名所の場合は、撮影及び掲載可能か確認をして掲載しています。
撮影:又は撮影F:FUJIFILM FinePix−F410, 撮影C:OLYMPUS C−750UZoom, 撮影D:KONIKA MINOLTA DiMAGE−Z3

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