温泉津周辺温泉津・福光周辺風景
温泉津周辺
井田,湯里周辺井田,湯里,上村周辺 . 戻る
2003年以前の温泉津 福光周辺1
温泉津入り口
 #FS04−0 温泉津駅  #FS04−1 温泉津駅
 撮影F7:2005/09/08 温泉津町(ゆのつちょう) 温泉津駅  撮影F7:2005/09/08 温泉津町(ゆのつちょう) 温泉津駅
 #FS04−4 温泉津温泉入り口  #FS04−6 温泉津温泉入り口
 撮影F7:2005/09/08 温泉津町 温泉津駅周辺  撮影F7:2005/09/08 温泉津町 温泉津駅周辺
 #FS04−9 温泉津駅周辺 [拡大  #FS04−10 温泉津駅周辺  [ビデオ館
 (上)撮影C:2006/04/14 温泉津町 温泉津駅周辺  (下)撮影C:2007/04/08 温泉津駅 上り方面へ


やきものの里
 F026 やきもの館(登り窯10段20m) [拡大  F026−1 やきもの館(登り窯15段30m) [拡大][画面サイズ:1024×768、ファイルサイズ:437KByte
 撮影C:2005/01/14 温泉津町(ゆのつちょう) やきもの館  撮影C:2005/01/14 温泉津町 やきもの館
 やきものの里と呼ばれる観光地に、やきもの館はあります。最初目にする物は15段30mと、10段20mの大きな登り窯(のぼりがま)で、少し離れて二基が並んでいます。この館は観光案内や、焼き物の資料展示,創作体験をする所で、実際温泉津焼を焼いているのは別の所です。しかし年2回春と秋に「やきもの祭り」が開催され、火入れがされます。開催日の6〜7日前に火入れされ、1000℃までは徐々に温度を上げ、短時間に1200℃の温度まで上げて、1250℃で一定に保ち、1日焼きます。その後5日間冷やして、開催当日に窯出しするそうです。 現在松山地区に四つの窯元(かまもと)があり、それぞれが個性ある作風を極めているそうです。(やきもの館の資料参考)
★登り窯の写真は、やきもの館の承諾を得て掲載しています。'05.01.16
■撮影者が見たパンフレットによれば、やきもの館の二基の登り窯は、日本でも大変大きい方の窯になるそうです。武雄にある容積で世界一の「飛龍窯」とあまり変わらない長さですから、日本で最大級といってよいでしょう。
登り窯(のぼりがま):陶器や磁器を焼くための窯(かま)の一つで、丘陵地の斜面に、数室の房を連続して上下斜めに築いた窯です。一番下にある第一室の炎や燃焼熱を各室に、自然に下から上に行渡らせる方式で、中国や朝鮮で開発された窯だそうです。登り窯の焼き方には酸化焼成と還元焼成がありそれぞれ特徴があります。
詳細は焼き物の資料を見て下さい。
 #F026−2 やきもの館(登り窯15段30m)  F026−3 はんど
 撮影C:2005/04/13 温泉津町 やきもの館  撮影C:2005/04/13 温泉津町 やきもの館
 右の写真にある茶色い壺(つぼ)の様なものは「はんど」といい温泉津焼を代表する焼き物です。温泉津焼を石見地方全体で、石見焼ともいうそうです。右端の大きい「はんど」は、段を重ねて継ぎ合わせて作るそうです。継ぎ目の処理は重要で、「叩きしめ」と呼ばれる伝統的技法を用いるそうです。焼く時は中位の物を中に入れ、さらに小さい物を中に入れて、スペースをうまく利用して焼くそうです。
温泉津焼(ゆのつやき):温泉津町松山で取れる良質な粘土と来待錆石や温泉津長石から作る釉薬(ゆうやく)を生かした焼き物で、自然の風合いを感じさせる外観です。
石見焼(いわみやき):島根県の江津市と浜田市を中心として石見地方に広がる、しの作りの焼き物のことです。
はんど:この地方では水瓶(みずがめ)のことを「はんど」といいます。昔、水道が普及していない時代に使われていた瓶で、大きなものは1mを越えます。焼かれた最盛期は江戸中期から後期で、北前船で各地に出荷されたそうです。編集者の家にも小さいものと中位なものがありました。母親は塩や味噌を入れる壺とか、奈良漬を漬ける漬物樽の様な使い方をしていました。温泉津焼きの壺は高温で焼成され硬く、耐酸性耐水性に優れ、当然化学物質の溶け出しもありませんから、微生物を繁殖させない漬物用(奈良漬,梅干)に最適です。現在は新しい使い方として、インテリア用の置物や傘立てとして利用されているそうです。
 編集者宅のはんど塩壺奈良漬壺
 #F026−4 やきものの里  #F026−5 やきものの里
 撮影C:2005/04/23 午前9:00 温泉津町 やきものの里  撮影C:2005/04/23 午前9:00 温泉津町 やきものの里


旅館(温泉)街周辺
 F034−20 温泉津温泉周辺 湯治の湯  F034 旅館街入り口周辺
 撮影DSC:2007/10/12 温泉津町温泉津  撮影C:2005/04/22 温泉津町
 温泉の歴史は古く、1300年以上も前に発見されています。伝えでは旅の僧侶が、タヌキが湯に入って傷を癒しているところを見かけ、湯治場のはじまりとなったそうです。泉質はアルカリ土類金属を多く含む食塩泉で、胃腸病,関節痛に効能があるそうです。  
 F034−2 龍御前神社 [拡大  #F034−3 旅館街周辺
 撮影C:2005/04/22 温泉津町 龍御前神社(龍の御前神社)  撮影C:2006/04/14 温泉津
 上の写真は龍御前神社(たつのごぜんじんじゃ)の裏山から撮影されたものです。ここから右に温泉津港、左に温泉街が見渡せます。
龍御前神社(たつのごぜんじんじゃ):北前船の海上の安全を司(つかさど)る神を祀った神社で、1532年(天文元年)に創建されました。北前船による広い地域交流があったことから、出雲や九州などの神々が祀られているそうです。もともと岩山の巨大岩龍岩に神が宿るとして崇拝されていた場所で、その下に社(やしろ)を建てたそうです。神社の奥の院は龍岩の岩下に位置していて、重いものが覆い被さる形ですから、少し自然の怖さを感じます。神社境内には灯篭や船絵馬(大正5年梅田常四郎が奉納)など多くの文化財が残っています。


龍岩(たついわ):天然の巨大岩で、口の開いた龍に見えることからこの様に呼ばれています。現代ではこの丸く開いた穴をタフォニと呼んでいます。
タフォニ(Tafoni):岩盤に丸く開いた穴のこと。塩分を含む水や水分が岩に吸収されて、水分のみ蒸発すると、後に塩分が岩に残り、塩が結晶になる過程で、岩に圧力がかかり、崩壊するそうです。崩壊した部分が穴になったのだそうです。海岸近くの砂岩や凝灰岩の崖によく見られます。
 F034−4 温泉街  #F034−5 温泉街
 撮影C:2007/02/10 温泉津町  撮影C:2007/02/10 温泉津町


温泉津の港
 F028 温泉津港1  F028−1 温泉津港2 拡大
 撮影C:2005/01/14 温泉津町 温泉津港(ゆのつこう)  撮影C:2005/04/22 温泉津町 温泉津港(ゆのつこう)
 温泉津港の中間にあるコンクリート製で固定された桟橋(さんばし)の様なところから撮影したそうです。左の白い建物は、温泉津漁協です。正面は小浜という地区で、左に行くと20件前後の旅館が並ぶ、レトロ調の温泉街です。宿泊客の目的は、地名からも分かる様に温泉です。温泉以外の目的では、夏は海水浴や釣りなどのレジャーで、冬は地元で捕れた魚料理(刺身,あんこう鍋など)を食べる目的で来られるそうです。春と秋は温泉と釣りがメインだそうです。
温泉津港(ゆのつこう):昔は石見銀山の銀積み出しや、北前船の寄港地として栄えた港だそうです。現在は漁業関係やレジャー関係の他に、地元で産出される硅砂(けいしゃ)などの地下資源を、積み出す港となっているそうです。湾の入り口幅約200[m],奥行き長さ700[m],水深6〜10[m],港湾区域面積39[ha]あるそうです。
 鵜丸城址(うのまるじょうし)のある山の頂上から、南東方向に撮影した写真だそうです。防波堤の向こうが温泉津港になります。
硅砂(けいしゃ):珪砂,ケイ砂とも書き、読み方は「けいしゃ」と読み、「けいさ」ではないそうです。二酸化ケイ素(SiO2)成分の多い石英砂を総称して硅砂というそうです。硅砂はガラス製品の原料として主に使われ、鋳物砂,建材砂としても利用されます。
温泉津硅砂:温泉津鉱山,三子山鉱山から産出される硅砂で、精製後はSiO2成分を95%も含んでいます。温泉津鉱山のものはガラス原料(日本シリカが精製し日本板硝子に販売)や鋳物砂に使われ、三子山鉱山のものは鋳物砂,建材砂,一部ガラスに使われるそうです。両方とも良質で量も多く、国内産で輸送コスト面からも期待されています。
鋳物砂(いものずな):鉄を溶かして型に入れて作ったものを鋳物といい、その型の材料砂のことを鋳物砂といいます。鋳物砂は耐火性,強度,歪に優れた砂であることが条件だそうです。
 #F028−2 温泉津港3  温泉津港周辺地図
 撮影C:2005/01/14 温泉津町 温泉津港(ゆのつこう)  地図1 [温泉津港][ゆのつ駅
 F096−1 温泉津港 波路浦  #F096−2 温泉津港 波路浦
温泉津港 波路浦
 撮影F7:2008/04/29 温泉津町 波路浦  撮影F7:2008/04/29 温泉津町 波路浦
 F028−3 温泉津港4(板わかめ)  F028−6 温泉津港(板わかめ) 
 撮影C:2005/04/13 温泉津町 温泉津港(ゆのつこう)  撮影C:2005/04/13 温泉津町
 撮影者は温泉津港の一番入り込んだ場所で撮影したそうです。すだれに平たく干された物はワカメです。温泉津町周辺の海岸近くではワカメがよく捕れます。乾燥されたワカメは温泉津名産の「板わかめ」になります。新芽が育った今の時期が「板わかめ」作りのもっとも良い季節だそうです。味は板ノリと違って完全に塩分を洗い流していませんから、薄い塩味がします。食感はは若いワカメですから薄く、パリパリした焼きノリを食べる食感です。香りは磯の香りがして、火であぶると香ばしさがプラスされます。袋から直ぐ出した時は、温かいご飯に軽く揉んでふりかけの様にして食べます。開封して湿気ってしまった場合は、ノリの様に火にあぶってふりかけにするか、塩分調整して吸い物に使います。
干した様子を大きく写した写真は日祖海岸の方にあります。
ワカメ:褐藻類昆布目に属する海藻。長さ60〜100cm,巾30〜40cm。葉は羽状で、深く切れ込んでいる。岩に取り付いている根の部分をメカブという(ネカブはコンブに使われる名)。海岸近くの岩場から、浅い外海にかけての岩場に生える。近年養殖も盛んに行われている。
板かしかめ:編集者は昔「板わかめ」より好んで食べていました。作り方は「板わかめ」というより、板ノリに近いと思います。この地でカシカメと呼ばれる海藻を使ったもので、ノリとワカメの中間の味と食感がありました。現在みやげ物屋や、周辺の店では扱っていないそうです。編集者もここ15年食べていません。
カシカメ:島根県の所々で呼ばれている海藻の一種。只今調べ中
詳しくは板わかめ・板かしかめの資料へ


沖泊沖泊詳細
 F029−8,−9 沖泊港 [拡大  #F029−17,−19 沖泊港
 撮影C:2007/04/23 温泉津町 沖泊(おきどまり)  撮影F7:2007/01/18 温泉津町 沖泊(おきどまり)
沖泊港(おきどまりこう)は、昔石見銀山の銀積み出しで栄えた港です。入り江が深く水深も深いため、港としては好条件の天然港だそうです。  
 F029−2 鼻ぐり岩(はなぐり岩)A1  #F029−3 鼻ぐり岩B2
 撮影C:2005/01/14 温泉津町 沖泊(おきどまり)  撮影C:2005/01/14 温泉津町 沖泊(おきどまり)
 写真中央の岩に開いた穴は、石見銀山が栄えた時代に手彫りで彫られたもので、鼻ぐり岩といいます。銀鉱石や生活物資の運搬を行う船を係留(=繋留:けいりゅう)する目的で作られたそうです。
■鼻ぐり岩を調べると、水路穴の名称としても使われていました。鼻ぐり岩を連続して一定間隔に掘ったもので、所々上部を残したのは、全部を掘らない効率性と、穴を通り抜ける水流を利用して、堆積物を押し流す働きがあるからだそうです。この掘り方を鼻繰り工法というそうです。
 鼻ぐり岩の水路 水流による掃除作用
 鼻ぐり岩の形は写真(#F029−2)の様な岩に通し穴を開けたものと、写真(#F029−3)の様な縁に膨らみのある円柱形の、2タイプがあります。元々写真(#F029−2)の通し穴のタイプが鼻ぐり岩と呼ばれ、牛の鼻に付ける鼻輪の通し穴に似ていることから名前が付けられました。鼻ぐり岩Bの係留の仕方は、現代の港に見られるビットの係留方法に似ています。
鼻ぐりって、ぐりって?鼻ぐり  鼻ぐり岩  係留柱(ビット)
 #F029−4 鼻ぐり岩A2  #F029−5 鼻ぐり岩B2
 撮影C:2005/01/14 温泉津町 沖泊(おきどまり)  撮影C:2005/01/14 温泉津町 沖泊(おきどまり)
 撮影者は大きさを分かってもらうために足を出して撮影したそうです。本当でしょうか?非常に疑わしいです。  鼻ぐり岩は、沖泊港(おきどまりこう)周辺に数多く残っていて、現在も所々漁船の繋留(けいりゅう)に使われています。
 F029−6 鵜丸城址(登り口)  F029−7 温泉津港灯台
 撮影C:2005/01/14 温泉津町 鵜丸城址(うのまるじょうし)  撮影C:2005/01/14 温泉津町 沖泊(おきどまり)
 白い看板にはそのままではありませんが、以下のことが書かれています。鵜丸城は毛利元就の命により、沖泊港,温泉津港の防衛、主に石見銀山の銀搬出,運搬に関する安全と安定を図る目的で、1571年(元亀2年)に毛利輝元が築城した。対岸の櫛島城(櫛山城)と笹島城とで、三つの城を基盤に毛利水軍の拠点とした。特に鵜丸城は銃陣を配した実践的工夫がなされていた。その後毛利水軍は周辺海域を征し、出雲地方を征服する戦略拠点として重要視した。  夕方近くに撮影したそうですが、まだ明かりは点灯していない様です。鵜丸城址の本丸近くにある無人灯台で、鵜丸灯台(うのまるとうだい)温泉津港灯台(ゆのつこうとうだい)というそうです。
■2005.04.24 昼間の灯台貼り付け

●灯台の概要
・灯台表番号:0803, 世界識別番号F7346
・位置:大田市温泉津町(ゆのつちょう)
  北緯35度05分42秒,東経132度20分28秒
・光度:6000cd
・光達距離:約20海里(37Km) 1海里=1.852Km


櫛島櫛島詳細
 F027−5 櫛島  #F027−10 櫛島に架かる橋
 撮影C:2005/01/14 温泉津町 櫛島公園  撮影F7:2007/01/18 温泉津町 櫛島(くしじま)
櫛島(くしじま):櫛島公園近くにある無人の島で、大きさは小さなでこぼこを無視すると一周約1kmあります。周辺は、磯釣り海水浴,ダイビング,キャンプなどできる温泉津の観光名所の一つです。この島は釣り人にとって有名な島で、休日はイシダイやクロダイを求めて、他県からも訪れるそうです。海水浴場は少し変わっています。普通砂浜がある海岸が海水浴場ですが、ここは岩場です。岩場といっても日本海反対の内海側なので波は穏やかで、安全なことから海水浴場に指定されています。ダイビングの装備はいりませんが、水中メガネ(マスクにシュノーケルが付いたものがベスト)は必要と思います。海底を覗(のぞ)かなければここに来た意味がありません。水中メガネ(マスク)を付けて海底や魚を見て周ることをシュノーケリングとかスノーケリングといいます。ダイビングと違って初心者が浅瀬で気軽に楽しめる遊びです。  後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が隠岐島(おきのしま)に流される時に、この地に立ち寄られて、村人に櫛を授(さず)けた伝説があり、櫛島という名前が付いたそうです。資料によっては、流される途中嵐にあって、この島にたどり着いたと記述されたものもありました。
後鳥羽上皇(ごとばじょうこう):1180年の鎌倉時代に、高倉天皇の四子として生まれ、幼くして天皇になる。和歌,武芸に優れた才能を発揮し、新古今和歌集の和歌の選出と改定をした。承久の乱で、鎌倉幕府に敗れ島根県の隠岐島に流刑される。60歳で亡くなる。
承久の乱(じょうきゅうのらん):1221年に朝廷(後鳥羽上皇)が鎌倉幕府(北条義時,北条政子)から政権をとりもどそうとした戦い。
 #F027−2 櫛島  櫛島周辺地図
 撮影C:2005/01/14 温泉津町 櫛島  地図2 [櫛島][鼻ぐり岩
 #F027−7 串山城址(櫛島城址)  #F027−6 櫛島(春) 櫛山城址 [拡大
 撮影F7:2007/01/18 温泉津町 櫛島  撮影C:2006/04/07 温泉津町 櫛島


日祖海岸
 F017 日祖海岸1  F017 日祖海岸1(拡大)
 撮影C:2004/05/11 温泉津町 日祖海岸(ひそかいがん)  撮影C:2004/05/11 温泉津町 日祖海岸(ひそかいがん)
 地形が複雑に入り組んでいて、磯釣りの名所だそうです。この海岸沿いに、ダイビングのできるベストポイントがあるそうです。  
 F017−2 日祖海岸(板わかめを干した風景) [拡大  #F017−3 板わかめ(温泉津名産)
 撮影C:2005/04/13 温泉津町 日祖海岸  撮影C:2005/04/13 温泉津町 日祖海岸
 #F017−4 日祖海岸(板わかめを干した風景)  #F017−5 板わかめ(温泉津名産)
 撮影S:2006/04/×× 温泉津町 日祖海岸  撮影S:2006/04/×× 温泉津町 日祖海岸


イシダイ,クロダイの資料】
イシダイ(幼魚シマダイ) クチグロ(老成魚)    イシガキダイ
 
クロダイ(関西名 チヌ)   メジナ(地方名 クロヤ,グレ)

  
■イシダイ:スズキ目>イシダイ科 白または灰白地に7本の黒い横縞
模様が特徴の魚です。北海道〜九州の磯や岩礁に生息する、磯釣り魚の王様です。王様だけあって、エビ,貝(サザエ),ウニなど高い寿司ねたを食べます。
★イシダイは縦縞か横縞か悩んでいる人へ:基本的に動物の頭とお尻を結んだ直線に平行する縞を縦縞といい、交差するものを横縞といいます。正解は横縞です(シマウマも横縞)。
■クチグロ:イシダイの老成魚です。成長すると(50〜80cm、10Kg)口の周りが黒くなることから、この様に呼ばれています。また♂が成長すると全体が灰黒になって縞が消えます。♀は成長しても消えません。
★食べ方は、刺身,塩焼きが一般的です。イシダイの仲間はスーパーに並ぶことがほとんどありませんから、地方の魚屋に行くか、自分で釣るしかない様です。(追記:インターネットで取寄せできるそうです。)
■イシガキダイ:スズキ目>イシダイ科 イシダイと同じ様な環境に住み、同じ様なものを食べます。模様は石垣模様をしていることから、イシガキダイと呼ばれています。イシガキダイが成長した老成魚(50〜80cm)は、石垣模様が薄くなり、口の周りが白くなることからクチジロと呼ばれています。しかしクチジロには幼魚体で、同じ様な色と形のものがいることから、別種という人もいて、断定はされていません。
注:イシガキダイは島根ではあまり見かけず、山口県よりで釣れることがあるそうです。
■クロダイ:スズキ目>タイ科 全体の色は暗い灰色で、お腹が白い銀色です。色以外はマダイにそっくりな体形をしています。北海道〜九州の沿岸に生息しています。成魚の大きさは30〜50cmになります。成熟すると♀に性転換する魚として知られています。汽水域(きすいいき)でも生活でき、昔は真水の水槽で出荷調整でき、重宝されたそうです。
磯,防波堤で釣ることができ、磯釣りの魚として有名です。餌はオキアミなどで、ほとんど夜中活動するため夜釣りの方がよいそうです。
■メジナ:スズキ目>メジナ科 全体の色はブルーっぽい灰黒で、お腹が白いです。形はタイに似た魚です。分布は関東以西(主に太平洋側)に生息しています。成魚の大きさは30〜60cm。磯,防波堤で釣ることができ、磯釣りの魚として有名です。餌はオキアミなどで釣れます。
★昔編集者の家庭では、すき焼き風魚料理というのがあって、チヌやクロヤを行商のおばちゃんが売りに来た日に食卓に上っていました。料理方法は魚の腸を取り、身に斜めに包丁を入れ、表面をこんがり焼き、ほとんどお酒の出汁に砂糖と醤油で味付けし、豆腐とワケギ,春菊を加えてすき焼き風にしていました。今思うとキンキの煮付けより身がプリプリで美味しかったような気がします。すき焼き風魚料理は、大田市周辺で「へか鍋」とか「へか焼き」といいます。

【へか鍋/へか焼き資料】
 へか鍋,へか焼き,へか焼き鍋また単にへかと呼ばれる料理はもともと漁師料理で、底の浅い鍋で魚介類をすき焼き風に味付けしたものが原形の様です。インターネットで調べると島根では松江市周辺と大田市周辺(静間)で、特に食べられ知られている様です。編集者の母親も大田近くの出身ですから編集者が食べて知っているのも当然です。温泉津町周辺で「へか鍋」が認知されているかどうかは分かりませんが、少なくとも温泉津町内の旅館や民宿の食事メニューには「へか」の文字はありませんでした。へかってなんでしょう?、只今調べ中です。
■松江周辺で知られる「へか鍋」は種類が多く、獣肉,魚,貝,イカなどが使われるそうです。松江周辺では「へか焼き」の方で呼ばれています。
■島根以外では広島の貝(アサリ,カキ)を使ったものと、紀州のアンコウを使った同じ「へか鍋」と呼ばれる料理があるそうです。味付けははっきりしませんが、醤油の他に味噌で味付けするものもあるそうです。
■全国的には、「へか鍋,へか焼き」ではなく「炒り焼き(いりやき)」という料理名で呼ばれている様です。種類は魚が主で、サワラやサバをすき焼きの割り下で煮るものと、カキやアンコウを水なしで、味噌で煮るものがある様です。この水を使わない方法から炒り焼と呼ばれています。
■へか鍋の作り方(3〜4人分)
昔の我が家のへか鍋レシピ 一般家庭用レシピ
材料 魚:今浦,吉浦産チヌ(30cm以上) 1尾
野菜:ワケギ1束,春菊8本
その他:湯の原豆腐(木綿) 1丁半
調味料 酒:開春 300cc
醤油:野田醤油
砂糖:スプーン印の砂糖 大さじ1杯
材料 魚:クロダイ(30cm以上) 1尾
野菜:根深ネギ2本,春菊8本
その他:絹ごし豆腐 1丁
調味料 日本酒 300cc
醤油
砂糖 大さじ?杯
生姜汁※2016/01/10追記
1.魚の鱗,腸,小骨の処理をし、しみ込みやすさと飾りのために身に斜めに包丁を入れる。 2.魚の表面に塩をふって20〜30分置く 3.表面がこんがり焦げる感じに焼く。3.すき焼き鍋を火にかけ、お酒と調味料入れる(水なし)。4.魚を入れる。5.少し時間をおいて、豆腐,野菜を入れてしばらく煮れば完成。
注:生臭さを消すのが難しいようです。サンマの塩焼きと同じ下処理として、表面に塩をふって、焼く直前に表面に浮き出た水分をキッチンペーパーで拭き取る作業が必要です。浜田市にも似た郷土料理があり、魚はサバで「サバの煮喰い鍋」といいます。こちらは、塩をふってその後焼くのではなく、軽く熱湯にくぐらせてから冷水にとって洗うことで臭みをとるようです。魚の種類によって魚臭さが気になる場合は、生姜を加えた切り身魚の煮付け料理を完成させ、ゆでた大根や豆腐など入れて試した方が安心かもしれません。
※2016/01/10魚臭さをとる部分を修正
 

板わかめ・板かしかめの資料】
■板わかめ:[商品の写真
 温泉津名産の薄い塩味がする、板状に整形された乾燥ワカメのことです。味は板ノリと違って完全に塩分を洗い流していませんから、薄い塩味がします。ミネラルを含み、天日干しにより、旨み成分を多く含んでいます。食感は若いワカメですから薄く、パリパリした焼きノリを食べる食感です。香りは磯の香りがして、火であぶると香ばしさがプラスされます。袋から直ぐ出した時は、温かいご飯に軽く揉(も)んでふりかけの様にして食べます。開封して湿気ってしまった場合は、ノリの様に火に炙(あぶ)ってふりかけにするか、味噌汁の具にはもったいないと思いますので、塩分調整して吸い物に利用したら良いと思います。(参考の為に追記:「板わかめ」が大量に湿気てしまった場合、編集者宅では電気炊飯器の中釜に、隙間ができる様にワカメを入れ、保温に操作してパリパリにしていました。当然水なしで、炊く操作をしてはいけません。)
 島根県の大田市や出雲地方(平田市)で、同じ様な「板わかめ」を名産品として販売しています。出雲地方では、ワカメのことをメノハといい、「板めのは」の名としても販売されています。
注:「板わかめ」の名を付けて販売する条件:捕れたワカメを水洗い後、脱水し、そのまま(熱処理、調味料や味付けなどすることなく)、平たく整形して乾燥(天日,人工的乾燥)させた物にだけ、「板わかめ」と名が付けられるそうです。
■板かしかめ:[商品の写真
 編集者は昔「板わかめ」より好んで食べていました。作り方は「板わかめ」というより、板ノリに近いと思います。この地でカシカメと呼ばれる海藻を使ったもので、ノリとワカメの中間の風味と食感がありました。「板かしかめ」の所々にノリが混じっていましたから同じ環境で混在して生育しているものと解釈しています。現在みやげ物屋や、周辺の店では扱っていないそうです。編集者もここ15年食べていません。
 島根県出雲市の名産に十六島海苔(ウップルイノリ)があります。別名、出雲海苔といわれ広く知られているそうです。その十六島海苔を扱っている平田市内のお店で、カシカメが入手できる場合があるそうです(板状でない可能性あり)。食べ方は板ノリと同じ様に、巻き寿司にしたり、炙(あぶ)って揉(も)んで醤油をかけてオカカご飯の様にして食べます。巻き寿司にする場合の注意として「板かしかめ」は全体にぽこぽこ穴が開いていますから、ご飯に梅酢で色を付けるか、ご飯が外側でカシカメを内側にして巻くことを薦(すす)めます。板状でないものは、乾煎(からい)りしてふりかけ,佃煮(つくだに)にして食べます。また乾燥ワカメの扱いで、吸い物,味噌汁,スープの具としても利用できます。
注1:「板かしかめ」の名称はホームページ編集者がいっているだけで、商品名ではありません。実際は単にカシカメといっていました。
注2:全国のカシカメを調べて見ました。大島の方でブダイのことをカシカメと呼んでいる様です。他の地域では使われていませんでした。
■板あらめ:アラメというコンブの仲間の海藻を板状に乾燥させたもの。ほとんどが板状でなく、煮物用にカットされた形で売られているそうです。


焼き物の資料】
登り窯(のぼりがま):陶器や磁器を焼くための窯の一つ。丘陵地の斜面に、数室の房を連続して上下斜めに築いたもの。一番下にある第一室の炎や燃焼熱を各室に、自然に下から上に行渡らせる方式で、中国や朝鮮で開発された窯です。登り窯の焼き方には次の2種類あります。
1.酸化焼成:窯の外から酸素を多く送り込んで高温で焼く方法。特徴は高温で焼け、強度が得られる。製品の外観に味わいがない。(味わいとは人によって変わりますし、現代は美しい物だけが好まれる時代でもありません。)
2.還元焼成:窯の外部から取り入れる酸素を極力抑え、焼き物の土から酸素を出させる焼き方。酸素がないと燃えないので、焼き方が難しく、高温にすることも難しい。完成した物の外観は、味わい深い。
素焼き,素焼(すやき):形を作って乾燥させた粘土を、本焼きする前に低温で焼くこと。素焼きの目的は、釉薬をかけたり絵付けをする作業がやり易く、出来上がりの模様にむらがなくなり、均一な製品が出来ること。素焼の段階では釉薬がかかっていないため、隣りとくっ付くことがなく、ぎりぎりまで近づけて大量に焼くことができること。大量に焼くことによって個々の個別差なく全体に水分や空気を放出させることができ、本焼の時割れにくくなること。本焼き前に割れ易い不良品を見付けることができることだそうです。
 焼き方は水分が蒸発する150℃前後までは時間を掛けて上げ、150〜550℃までは、気温とか周りの環境を考慮して経験で徐々に上げるそうです。550℃を越せば800℃まで一騎に上げ、目的温度(800〜900℃)に安定させ、焼時間後は時間を掛けて冷やすのだそうです。
本焼き,本焼(ほんやき):成形後十分乾燥させた粘土や、素焼きされた物を釉薬をかけて高温で焼くこと。資料によっては、本焼き後の釉薬がかかっていない部分を素焼ヵ所と記述してあるものがありました。(土鍋の底などは素焼とされていました。しかし正しくは白焼きと思います。)
白焼き,白焼(しらやき):成形後十分乾燥させた粘土や、素焼きされた物を釉薬を使用しないで高温で焼くこと。
温泉津焼(ゆのつやき):温泉津町松山地区の温泉津層から取れる良質粘土と、来待錆石(きまちさびいし)や温泉津長石から作られる釉薬(ゆうやく)を生かした焼き物で、自然の風合いを感じさせる外観です。 温泉津焼は、江戸時代に「はんど」と呼ばれる水瓶で全国的に広く知られ、「はんど」の他に「はんどう(飯銅=飯胴,飯洞)」とも呼ばれたそうです。温泉津焼の分類として違いますが、瓦(かわら)も有名です。井田畑地区の同じ温泉津層から取れる粘土で作られています。壺,水瓶と同じ様に高温で焼成され硬く、強度や耐水性に優れているそうです。
 はんど 釉薬:来待釉(酸化焼成)  釉薬:温泉津石釉(酸化焼成) 釉薬:温泉津石釉(還元焼成)
注:ホームページで「はんど」のことを調べると、大瓶(大甕:おおがめ)のことと記述されたものもありました。私の記憶では、この地方では大瓶であれ中瓶であれ水瓶のことを「はんど」といった記憶があります。はんど=大瓶ではなかった様に思います。このことは分かり次第追記します。

陶土(とうど),磁土(じど):長石珪石の成分と粘土が混じり合った、陶磁器用の土の事をいいます。粘土は陶磁器の土台となり、珪石は骨格、長石は接着剤の役目をするそうです。よって陶土に珪石と長石の成分がないものを焼いた場合、出来上がったものは大変もろいそうです。
陶土陶器用):長石20%,珪石約20%,粘土60%       850℃で素焼き>粘土の色が出る。1200〜1250℃で本焼>素地色。
磁土磁器用):陶石50%(長石25%,珪石25%),粘土50%900℃で素焼き>白くなる。1300℃で本焼き>ガラス化して半透明になる。
釉薬(ゆうやく):上薬=釉薬(うわぐすり)と同じ意味。珪石長石石灰と、発色目的の金属成分を含む石を臼(うす)で挽いて、細かい石粉にしたものを水で溶いたもので、ドロリとした泥水の様に見えます。素焼きされた陶器にこれをかけて本焼きすると、表面にガラス質が形成され、発色して光沢がでます。色は含まれる金属成分により変わります。珪石と長石は形成されるガラス質の素になりますが、石灰の役目は少し変わっています。普通珪石は1600℃以上の高温でないと溶けません。しかしそこに石灰が加わると媒よう剤となって1200℃で溶けるようになるそうです。よって素焼き,白焼きでは陶土内に含まれる珪石は溶けておらず、骨格を形成していないことから、少し強度が劣るそうです。
 釉薬を使用しない場合でも珪石を溶かす方法があるそうです。電気窯でなく、まきを焚く窯にアカマツ材を使用するとある種の金属成分と石灰が、燃焼灰として作られ、陶器にふりかかる焚き口近くにある時、釉薬の効果が得られるそうです。ある程度の知識と自然の中の偶然から創りだそうとする人はこの方法で焼くのだそうです。人は創造を超えたものを創ろうとする時、自然の中の偶然からヒントを得ようとしますから、偶然を期待するのも良しとしましょう。(2005.03.13釉薬の説明修正 日本テレビの番組「所さんの目テン!」参考に修正)
・釉薬を利用する目的は、水の浸透防止効果と、デザインです。
・溶く水を多くすると作業性は上がりますが、その後の乾燥に時間が掛かり、割れの原因になるそうです。
・温泉津焼の「はんど」は出雲で取れる来待錆石(きまちさびいし)から作った来待釉(きまちゆう)を使います。酸化焼成で朱赤に発色します。
 温泉津長石から作られた釉薬では、酸化焼成の焼き方で黄土色になり、還元焼成の焼き方では透明感のある青色になるそうです。
・一般的釉薬は1200℃を越えないと、うまく溶けて付かないそうです。(楽焼の様に800℃で溶ける物から、最高1500℃の物まである。)
透明釉(とうめいゆう):磁器を作る時などに使用される釉薬で、素焼されたものに絵付けした柄が、本焼き後ガラス化して透けて見える様になります。陶器を焼く時に利用する釉薬で、金属成分を絵付けに使い、残りを釉薬として使った感じと考えれば分かり易いかも知れません。透明柚を使用すると素地の色がそのまま出ます。よって磁器には絵柄が生える様に珪石と長石の割合を多くして素地を白くする磁土が使われます。

◆注意していること
 1.個人の住宅が風景に写った場合、写真全体の0.7%以下としています。(スーパー,店,旅館,民宿,公共施設などは除く)
 2.写真が規制されている名所の場合は、撮影及び掲載可能か確認をして掲載しています。
撮影:又は撮影F:FUJIFILM FinePix−F410, 撮影C:OLYMPUS C−750UZoom, 撮影D:KONIKA MINOLTA DiMAGE−Z3

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