井田・湯里・上村周辺温泉津・福光周辺風景
井田,湯里,上村周辺
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2003年以前の温泉津 福光周辺1
井田周辺
高野寺高野寺詳細
 F033 高野寺(仁王門,真ん中奥に中門) 拡大  #F033−1 高野寺(大師堂,回廊,右上が本堂)
 撮影C:2005/04/03 温泉津町井田 高野寺(たかのじ)  撮影C:2005/04/03 温泉津町井田 高野寺(たかのじ)
 高野寺(こうやじ)と呼ばれるお寺は全国にありますが、ここは石見の高野山(こうやさん)と呼ばれている所で、お寺の名前は予想をうらぎって高野寺(たかのじ)といい、地元周辺の人たちは高野寺(たかのうじ)と呼んでいます。場所は名前から想像がつく様に温泉津町井田の小高い山の山中にあります。この想像はうらぎっていません。背後に緑深い鏡向山があり、アカガシが群生しています。上り途中の路から見える浅利海岸の風景は、とても美しいものがあります。遠く離れた海岸線の景色は黄砂の時期以外で天気が良ければ一望できます。右上の写真全体に見える木はツツジの木で、寺全体で3000本近く植えられています。ここは温泉津の観光名所の一つで、毎年5月上旬に「つつじ祭り」が開催され、火渡りなどの幾つかの行事が行われます。
アカガシ:ブナ科>コナラ属 高さ20m常緑樹、樹皮が赤いカシの木
黄砂(こうさ):中国やモンゴルの乾燥地帯(黄土高原,ゴビ砂漠,タクラマカン砂漠)で巻き上げられた黄土のチリが、偏西風に乗って中国,韓国,日本に降り落ち、黄色く霞む現象。3〜4月の春に見られる。
★写真の掲載につきましては高野寺の許可を得ました。’05.04.10
 上記内容は、高野寺の案内板を参考に書かれています。
■高野寺(たかのじ):真言宗の大きな古刹(こさつ)で、平安時代の弘仁五年(814年)に弘法大師により開基(かいき)されたそうです。現在はツツジの名所と県文化財の銅鐘(どうしょう)で知られています。
・本尊:聖観世音菩薩
・石見観音札所33番
・石見銀山天領七福神 寿老人(じゅろうじん)が祀(まつ)られる。
古刹(こさつ):由緒ある古いお寺のこと。
開基(かいき):宗教で使われる開基は、寺を開くこと,一宗派を創立することだそうです。
銅鐘:文化財の名称、朝鮮鐘の紋様を取り入れた梵鐘(ぼんしょう)
河童(かっぱ)が江の川から担(かつ)いで高野寺に運んだいい伝えがあるそうです。もしかすると河童は違う国の人のことかも知れません。
梵鐘(ぼんしょう):鐘楼(しょうろう)という建物につるしてあるつり鐘で、寺で見る大きな音がする大きい鐘。
鏡向山:標高446m ※2012.1010誤字訂正
 F033−6 高野寺 つつじ祭り [拡大  F033−8 高野寺 つつじ祭り
 撮影C:2005/05/05 温泉津町井田 高野寺(たかのじ)  撮影C:2005/05/05 温泉津町井田 高野寺(たかのじ)
 FS010 賓頭盧尊者(ぴんづるそんじゃ) [拡大   #FS011 本堂横のお堂に並ぶ石仏
 撮影C:2005/04/03 温泉津町井田 高野寺(たかのじ)  #FS010−4 FS011の部分拡大
 太師堂右横の軒下に置かれている石仏で、賓頭盧(ぴんずる)様といい、俗称を撫で仏(なでぼとけ)というそうです。
 この堂の後ろ側には薬師如来などの石仏が二体あるそうです。作者を調べて頂いたところ、石仏の後ろに石工福光住・坪内伊兵太只氏、もう一体に石工坪内忠兵ヱと書いてあったそうです。坪内の名は福光周辺でよく聞く名で石材業をされている人が多くいます。また石見銀山近くにあります羅漢寺の五百羅漢の石仏500数体も、石工・坪内平七利忠さんという方がお弟子さんと彫られたと聞いています。
 高野寺の石仏,灯篭,石階段のほとんどが福光石で彫られたり、造られたりしているそうです。
2005.01.05高野寺様の許可を得ましたので仏様の写真を掲載します。
賓頭盧(ぴんずる):
 お釈迦様の弟子である十六羅漢の中のトップで、つるりとした頭,長い眉,深いしわの相を備えています。神通力を持っていた人で、釈迦の弟子としての修行中に多用したことから叱りを受け、追放され、独自の修行後こだわりのない心を得て再度弟子となったそうです。しかしお釈迦様が亡くなった後もこの世に残って人々を導く使命を与えられたそうでうす。ホームページによってはお酒を飲むことを止めることができなくなったことから追放されたという文もありました。
■名の由来:サンスクリット語のンドーラバンドージャの発音を中国の漢字に直したのが賓頭盧(んずる)だそうです。よってんずる様の他に、んずる様と呼ばれたりもするそうです。
撫で仏(なでぼとけ):日本ではびんずる様が神通力を持っていたことから病気をもつ人が、病気の箇所と、びんずる様の同じ部分を撫でると病気が治癒(ちゆ)するという風習が広まり、撫で仏と呼ばれる様になったそうです。(今画面を撫でたか方へ:画面に指紋が付きますよ)
■軒下に置かれている理由:理由は複数ある様うです。1.一度弟子を辞めさせられて追放されたことから、他の弟子と区別されている説。2.日本では撫で仏の風習があり、あらゆる人々に気兼ねなく触ってもらうために、お寺側が配慮した説などがあります。
■写真の左手に持っている物は香爐(こうろ)だと思いますが、長い杖や鉄鉢を持っていたり、両手で舎利塔(しゃりとう)を抱えていたりするそうです。
 撮影C:2005/04/03 温泉津町井田 高野寺(たかのじ)
 本堂横のお堂に並ぶ石仏を撮影した写真です。四国八十八ヶ所の、各お寺の本尊様や、弘法大師様などのお地蔵さんだそうです。
 石仏を一般にお地蔵さんと呼びますが総称で、姿や持ち物等でみなお名前があるそうです。これからはお地蔵様一体一体に意味があることを知り、私を含め単純にお地蔵さんがいっぱいなどといわない様にしましょう。





 

三子山周辺
 F041 三子山鉱山  
 撮影C:2005/04/27 温泉津町井田荻村 三子山鉱山  
 温泉津珪砂(ゆのつけいしゃ)はここで掘られているそうです。
■三子山:標高586.6m(国土地理院地図)
 


西田周辺
西田
 #F052−11 西田から矢滝城跡  F042 西田
 撮影C:2007/01/05 温泉津町西田  撮影F7:2005/09/08 温泉津町西田
 西田は、銀山街道の宿場町として栄えていたそうです。銀山から温泉津,沖泊へ運ばれる荷物は、ここで一旦牛や馬から降ろされ、再び別の牛や馬に積み替えられて運ばれたそうです。  昔の西田は大きな町で、上市,中市,下市の三つに分かれた大きな市が開かれていました。現在は面影なく、農村の雰囲気です。「よずくはで」はこの地方に伝わる独特の稲束の干し方で、ミミズクに似ていることからその様に呼ばれています。
 F042−3 よずくはで  #F042−2 よずくはで
 撮影DSC:2007/10/12 12:30 温泉津町西田  撮影DSC:2007/10/12 温泉津町西田
 #F042−4 西田分校跡  #F042−5 よずくはで[拡大]
 撮影DSC:2007/10/12 14:30 温泉津町西田  撮影C:2007/10/10 温泉津町西田
 #FX01 よずくはで [拡大  #FX01−3 よずくはで
 「よずくはで」と、「はでご」に稲束を架(か)ける作業を撮影した写真です。「よずく」とはこの地方で、ミミズクのことを方言でその様にいいます。全体の形が、耳に似た羽角(うかく)をもつミミズクが、木に止まって少し羽を開いている姿に似ていることから名付けられたそうです。この形のものは全国的にも珍しく、現在コンバインと、乾燥機に依存する時代に、天日干しの良さと観光目的により、温泉津町西田地区にしか見られない形だそうです。この形のメリットは、「はでご」の材料の木材が6本で済むことと、木材が三角構造に組まれ、横の力に強いことです。またこの地に吹く強い谷風に対し、「平はで」の様に平面全体で風を受けることなく、360度どの方向に対しても風を通す構造になっていることです。高さは5〜6mあります。
 ミミズク・フクロウ動画(松江フォーゲルパーク) 
はでごはぜご:稲束を架けて干すために丸木や竹,鉄パイプなどで組まれた構造物をいいます。出雲地方では稲架木(はでぎ)というそうです。
■稲を干した全体を「稲架:はで」,「はぜ」といいます。
 #F042−8,−10,−12 ヨズクの里  #F042−9,−11,−13 ヨズクの里
 撮影F7:2012/10/07 温泉津町西田  撮影F7:2012/10/07 温泉津町西田   説明板の内容


湯里周辺
湯里駅
 FS07−0,−2 山陰本線湯里駅  #FS07−1,−3 山陰本線湯里駅
 撮影F7:2005/09/08 温泉津町湯里(ゆさと) 湯里駅  撮影F7:2005/09/08 温泉津町湯里(ゆ

清水
 #F076−5,−8 金柄杓井戸  #F076−6,−7 金柄杓井戸
 撮影F7:2008/04/29 温泉津町湯里(ゆさと)  撮影F7:2008/04/29 温泉津町湯里
 温泉津町湯里の清水集落には、昔から美味しいと評判の井戸があります。銀山が栄えた頃、大森代官がそれを口にして、美味しさに感心し、当時は高価だった金属の柄杓(ひしゃく)を奉納したそうです。そのことが井戸の名の由来になったと伝えられています。 ■昭和61年に島根県の名水百選・くらしの清水に選ばれました。
 島根県名水百選:第17番
 #F076−1 金柄杓井戸  #F076−3 金柄杓井戸
 撮影C:2007/03/14 温泉津町湯里  撮影C:2007/03/14 温泉津町湯里
 #F078−11 清水集落  #F078−10 銀山街道 沖泊道
 撮影C:2007/04/23 温泉津町湯里  撮影C:2007/04/08 温泉津町湯里

湯湊
 F102−1,−3,−5 湯湊港  #F102−2,−4,−6 湯湊港
 撮影:2008/04/29 温泉津町湯里 湯湊  撮影:2008/04/29 温泉津町湯里 湯湊


◆注意していること
 1.個人の住宅が風景に写った場合、写真全体の0.7%以下としています。(スーパー,店,旅館,民宿,公共施設などは除く)
 2.写真が規制されている名所の場合は、撮影及び掲載可能か確認をして掲載しています。
撮影:又は撮影F:FUJIFILM FinePix−F410, 撮影C:OLYMPUS C−750UZoom, 撮影D:KONIKA MINOLTA DiMAGE−Z3

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