石見 高野寺(たかのじ) Fukutomi design office 元に戻る TOP画面
 高野寺(こうやじ)と呼ばれるお寺は全国にありますが、ここは石見の高野山(こうやさん)と呼ばれている所で、お寺の名前は予想をうらぎって高野寺(たかのじ)といい、地元周辺の人たちからは高野寺(たかのうじ)と呼んでいます。場所は名前から想像がつく様に温泉津町井田の高い山の山中にあり、この想像はうらぎっていません。背後に緑深い鏡向山があり、周辺にアカガシが群生しています。上り途中の路から見える浅利海岸の風景は、とても美しいものがあります。遠く離れた海岸線の景色は黄砂の時期以外で天気が良ければ一望できます。右下写真の中央階段沿いに見える低木はツツジの木で、寺全体で3000本近く植えられています。ここは温泉津の観光名所の一つで、毎年5月上旬に「つつじ祭り」が開催され、火渡りなどの幾つかの行事が行われます。 山号:醍醐味山 別名:石見の高野山
寺号:高野寺(たかのじ)
宗派:真言宗 御室派
開基:弘法大師 弘仁五年(814年)
本尊:聖観世音菩薩
札所:石見観音札所33番
     石見銀山天領七福神 寿老人(じゅろうじん)が祀られる。
県文化財: 銅鐘(どうしょう)
観光:ツツジの名所と知られ、5月に「つつじ祭り」が開催される。
住所:〒699−2507 島根県大田市温泉津町井田ハ−480
Tel:0855−66−0043 e-mail:eメール
★写真の掲載につきましては高野寺様の許可を得ています。
ページ内 つつじ祭り火渡りの行事高野寺資料 地図地図:GoogleMapion
    
 F033−20 高野寺  #F033−21 高野寺
 撮影F7:2012/10/10 温泉津町井田  撮影F7:2012/10/10 温泉津町井田
 #F033 仁王門,真ん中奥に中門 拡大  #F033−12 仁王門
 撮影C:2005/04/03 温泉津町井田  撮影C:2005/04/03 温泉津町井田
 #F033−18,19  #F033−28,−29
 撮影C:2005/04/03 温泉津町井田  撮影C:2005/04/03 温泉津町井田
 #F033−1,−16 大師堂,回廊,右上が本堂  #F033−22,−23 中門から大師堂
 撮影C:2005/04/03 温泉津町井田  撮影F7:2012/10/10 温泉津町井田
 #F033−26,−27 本堂  #F033−13,−17 本堂 拡大
 撮影F7:2012/10/10 温泉津町井田  撮影C:2005/04/03 温泉津町井田
 FS010 賓頭盧尊者(ぴんづるそんじゃ) [拡大   #FS011 本堂横のお堂に並ぶ石仏
 撮影C:2005/04/03 温泉津町井田 高野寺(たかのじ)  #FS010−4 FS011の部分拡大
 太師堂右横の軒下に置かれている石仏で、賓頭盧(ぴんずる)様といい、俗称を撫で仏(なでぼとけ)というそうです。
 この堂の後ろ側には薬師如来などの石仏が二体あるそうです。作者を調べて頂いたところ、石仏の後ろに石工福光住・坪内伊兵太只氏、もう一体に石工坪内忠兵ヱと書いてあったそうです。坪内の名は福光周辺でよく聞く名で石材業をされている人が多くいます。また石見銀山近くにあります羅漢寺の五百羅漢の石仏500数体も、石工・坪内平七利忠さんという方がお弟子さんと彫られたと聞いています。
 高野寺の石仏,灯篭,石階段のほとんどが福光石で彫られたり、造られたりしているそうです。
2005.01.05高野寺様の許可を得ましたので仏様の写真を掲載します。
賓頭盧(ぴんずる):
 お釈迦様の弟子である十六羅漢の中のトップで、つるりとした頭,長い眉,深いしわの相を備えています。神通力を持っていた人で、釈迦の弟子としての修行中に多用したことから叱りを受け、追放され、独自の修行後こだわりのない心を得て再度弟子となったそうです。しかしお釈迦様が亡くなった後もこの世に残って人々を導く使命を与えられたそうでうす。ホームページによってはお酒を飲むことを止めることができなくなったことから追放されたという文もありました。
■名の由来:サンスクリット語のンドーラバンドージャの発音を中国の漢字に直したのが賓頭盧(んずる)だそうです。よってんずる様の他に、んずる様と呼ばれたりもするそうです。
撫で仏(なでぼとけ):日本ではびんずる様が神通力を持っていたことから病気をもつ人が、病気の箇所と、びんずる様の同じ部分を撫でると病気が治癒(ちゆ)するという風習が広まり、撫で仏と呼ばれる様になったそうです。(今画面を撫でたか方へ:画面に指紋が付きますよ)
■軒下に置かれている理由:理由は複数ある様うです。1.一度弟子を辞めさせられて追放されたことから、他の弟子と区別されている説。2.日本では撫で仏の風習があり、あらゆる人々に気兼ねなく触ってもらうために、お寺側が配慮した説などがあります。
■写真の左手に持っている物は香爐(こうろ)だと思いますが、長い杖や鉄鉢を持っていたり、両手で舎利塔(しゃりとう)を抱えていたりするそうです。
 撮影C:2005/04/03 温泉津町井田 高野寺(たかのじ)
 本堂横のお堂に並ぶ石仏を撮影した写真です。四国八十八ヶ所の、各お寺の本尊様や、弘法大師様などのお地蔵さんだそうです。
 石仏を一般にお地蔵さんと呼びますが総称で、姿や持ち物等でみなお名前があるそうです。これからはお地蔵様一体一体に意味があることを知り、私を含め単純にお地蔵さんがいっぱいなどといわない様にしましょう。





 
 #F033−24 本堂そばの池  #F033−25 本堂そばの池
 撮影F7:2012/10/10 温泉津町井田  撮影F7:2012/10/10 温泉津町井田
 F033−4 エンコウ岩  #F033−5 テング岩
 撮影C:2005/05/05 温泉津町井田  撮影C:2005/05/05 温泉津町井田
 写真の石はエンコウ岩というそうです。エンコウとは河童(かっぱ)のことで、昔河童が江の川から釣鐘(つりがね)を担(かつ)いで高野寺に運んだ言い伝えがあり、途中でこの石に腰をおろして休んだのだそうです。現在釣鐘は、朝鮮鐘の紋様を取り入れた貴重なものとして、県文化財に指定され、銅鐘(どうしょう)と呼ばれています。想像をこえませんが、銅鐘は朝鮮の人によって作られた可能性があり、朝鮮の人が船で海から江の川をさかのぼって高野寺に担いで運んだ可能性があります。想像ついでに付け加えれば、昔の人が風貌の違う異国の人を、河童に例えた可能性があります。
エンコウ:島根県石見地方の方言で、河童(かっぱ)のこをエンコウといいます。河童は神の零落した姿とされ、人に迷惑を掛けますが、迷惑を掛けた恩返しに知恵や福を返す神の存在でもあります。
 テング岩の前に生える白い花は、シャガというそうです(後はツツジ)。シャガは、もともと中国大陸に分布していたもので、3倍体なので種や球根で増える植物ではないそうです。増やすときは株分けして増やすそうで、昔中国や朝鮮から生きた鉢植えの形で、持ち込まれたと考えられています。このお寺のシャガが直接大陸から運ばれたものかどうか分かりませんが、文化財の銅鐘といい大陸と深い関係がある様です。
テング岩に関しましては、またいつかの機会に書きます。
■シャガ:アヤメ科>アヤメ属 木の日陰や、山地斜面の湿った所に生える常緑多年草で、葉はアヤメに似ています。花は5〜6cmの大きさで、白地に紫色の斑があります。花弁の全体はアヤメに似ていますが、少し異なり縁にギザギザした感じがあります。
 #F033−2 高野寺周辺風景(黄砂の時期) [拡大  #F033−3 高野寺周辺風景 [拡大
 撮影C:2005/04/21 温泉津町井田  撮影C:2005/04/27 温泉津町井田
 F033−6〜8 つつじ祭り [拡大  F033−9〜11,15 火渡りの行事
 撮影C:2005/05/05 温泉津町井田 高野寺(たかのじ)  撮影C:2005/05/05 温泉津町井田 高野寺(たかのじ)


資料
高野寺(たかのじ)
宗名:真言宗 御室派
寺号:鏡向山 高野寺
本尊:聖観世音菩薩

 嵯峨天皇御宇平安初期弘仁5年(814)高祖弘法大師諸国巡錫のおり、開基された真言宗のお寺です。 鎌倉中期伏見天皇御宇当山寺領として方一里の地を賜う、宥意上人これを似って伽藍僧坊を建立し七院の坊舎を営み僧伽修行の道場となる。 その後、永徳・永禄・享保年間火災にあう。 文明11年2月石見守護大内氏は当時一円に信仰礼拝された高野寺を寺領安堵し深く信仰を求め帰依しました。 永禄の頃尼子勝久公の兵緑火災にあいましたが毛利元就公の陣中にありし時、本尊聖観世音の霊告を感じ、当寺を祈願所とされ田畝を寄進されました。 また天正中期に丸山城主小笠原公が持仏堂(大師堂)を寄進する。 享保18年再度火災にあう。 以来百有余年の星霜をへて万延元年将海和上本堂諸堂を再建、その功績により京都御室御所より褒賞あり、小松宮二品彰仁親王より勅額「醍醐味山」を賜る。 寺宝の銅鐘は謎の名鐘と呼ばれ、谷住郷の七日渕より河童が背負って来たと言い伝えられ県の重要文化財に指定されています。
大田市指定 記念物
天然記念物 高野寺のアカガシ林  平成四年五月十一日指定

 シイ・タブ・カシなどの常緑広葉樹林は一般に照葉樹林と呼ばれます。そのうちシイ林はやや乾燥した丘陵地に、タブ林は日照が制限され重力水が浸出する山脚に、カシ林は浸潤な山腹にと、それぞれよく生育します。
 浸潤な所を好むカシもアラカシやウラジオガシは河川とか渓谷といった流れに面した山の斜面を、シラカシはやや向陽の山地をといった生育地に微妙な好みの違いがあります。その点、アカガシは両者の中間の湿度の地に生育しますが、なかなかそうした微気候に適った所がないので、アカガシが群落としてまとまる事はありません。
 そうした意味でも、ここ高野寺のアカガシ林は貴重です。林内にはシイやタブを含みますが、これほどアカガシが集中し、大きく繁茂している所はありません。

広さ:役150平方メートル
最大のアカガシ:樹高15メートル, 幹回り5.2メートル
大田市教育委員会 平成五年三月設置
古刹(こさつ):由緒ある古いお寺のことです。
開基(かいき):宗教で使われる開基は、寺を開くこと,一宗派を創立することだそうです。
銅鐘:寺宝の名称で、朝鮮鐘の紋様を取り入れた和鮮混淆式の梵鐘(ぼんしょう)です。総高97.6cm,口径56.8cm、室町時代に造られたとされています。昭和42年に県文化財に指定されました。
 河童(かっぱ)が江の川から担(かつ)いで高野寺に運んだ言い伝えがあるそうです。朝鮮紋様から考えると河童は違う国の人のことかも知れませんね。
梵鐘(ぼんしょう):鐘楼(しょうろう)という建物につるしてあるつり鐘で、寺で見る大きな音がする大きい鐘のことです。
鏡向山:標高446m ※2012.1010誤字訂正
アカガシ:ブナ科>コナラ属 高さ20m常緑樹、樹皮が赤いカシの木
黄砂(こうさ):
 中国やモンゴルの乾燥地帯(黄土高原,ゴビ砂漠,タクラマカン砂漠)で巻き上げられた黄土のチリが、偏西風に乗って中国,韓国,日本に降り落ち、黄色く霞む現象をいいます。国内では3〜4月の春に見られ、九州や中国地方が特に影響を受けています。

 朝日テレビのある番組情報によりますと、最近北海道でも黄砂が見られるそうです。黄土高原も砂漠化が進んでいますが、内モンゴルでも急速に砂漠化していて、北海道に黄砂をもたらしているそうです。日本の方などが植樹されているニュースを時々見ると、改善されているのかと思っていましたが、実状は深刻の様です。内モンゴルの場合は広い土地に柵を設け個人が自分の柵内の土地に利益を追求して沢山のヤギと羊を放牧し、ヤギたちは柵の近くでは移動する制限を受け特に柵近くは草の根まで食べ、草原の薄い層を傷つけ草を枯らしたことが主な原因としていました。番組では個人で柵を持つのではなく、集団で広い土地を所有して、昔の様に放牧すればヤギたちが根まで食べることはないといっていました。また先進国の人たちが安いカシミヤを望むことからこのことが起こっているとも付け加えていました。
■石見銀山天領七福神の寺院・神社
安楽寺 毘沙門天 大田市静間町八日市1558
波啼寺 弁財天 大田市仁摩町宅野町1315
城福寺 大黒天 大田市仁摩町仁方町1114
観世音寺 福禄寿 大田市大森町イ−1383
清水大師寺 恵比寿 大田市温泉津町小浜408
楞厳寺 布袋尊 大田市温泉津町ハ−67
高野寺 寿老人 大田市温泉津町井田ハ−480
 


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