清水大師寺 (島根県中部の風景) Fukutomi design office 元に戻る TOP画面
 清水大師寺(しみずだいしじ)は、弘仁3年(812年)、全国行脚中にこの地を訪れた弘法大師が、堂床山麓に一字を建て、観世音菩薩を勧請したのが始まりであるとされています。大師は、寺付近の人々に柿の果樹栽培を教えたそうです。栽培して実った柿は、弘法柿(清水柿)といって村人達は喜んだそうです。 その後、石見銀山争奪戦の犠牲者を弔うため、勝尊法師が一堂を建てたと伝えられています。 降って、天文8年(1539年)に堂床山が崩壊流出し、清水大師寺の建物も消失してしまいました。時の庄屋「石原安左右衛門」がお堂を再建したことから、現在も山陰地方屈指の弘法大師霊場となっています。
☆清水大師寺案内板の説明文より
■清水大師寺
宗名:高野山真言宗
山号:堂床山,寺号:清水大師寺
本尊:大日如来
札所:石見観音霊場札所 31番
住所:島根県大田市温泉津町 小浜イ−408

 #F060−1 撮影C:2006/11/13 山門  #F060−9 撮影F7:2008/04/29
 #F060−10 撮影F7:2008/04/29  #F060−2 撮影C:2006/11/13
 #F060−11 撮影F7:2008/04/29  #F060−12 撮影F7:2008/04/29
 #F060−13,−17,−19 撮影F7:2008/04/29  #F060−14,−15,−18 撮影F7:2008/04/29
 #F060−20 撮影F7:2008/04/29  #F060−2 撮影C:2006/11/13 秋の庭
 #F060−3 撮影C:2006/11/13 説明板  説明板の内容
清水大師寺(しみずだいしじ)
宗名:高野山真言宗
山号:堂床山、 寺号:清水大師寺
本尊:大日如来

 弘仁3年(812年)、全国行脚中にこの地を訪れた弘法大師が、堂床山麓に一字を建て、観世音菩薩を勧請したのが清水大師寺の始まりである。
 弘法大師は、寺の付近の人々に柿の木、現在でいう果樹として栽培することを教えた。植樹をして実った柿は、弘法柿(清水柿)といって村人達は喜んだ。
 その後、正安3年(1301年)に至り、石見銀山争奪戦の犠牲者を弔うため、勝尊法師が一堂を建てたと伝えられている。降って、天文8年(1539年)には、堂床山崩壊流出し、清水大師寺の建物も消失してしまった。
 時の庄屋、石原安左右衛門がお堂を再建して以来、山陰地方屈指の弘法大師霊場として名高い。

注:説明文を利用される場合は、許可が必要と思います。本ホームページでは大田市名所の観光案内として載せています。


周辺風景
#F060−7 撮影F7:2008/04/29 寺から見下ろした風景・春  #F060−4 撮影C:2006/11/13 温泉津港・秋


資料
■石見銀山天領七福神の寺院・神社
安楽寺 毘沙門天 大田市静間町八日市1558
波啼寺 弁財天 大田市仁摩町宅野町1315
城福寺 大黒天 大田市仁摩町仁方町1114
観世音寺 福禄寿 大田市大森町イ−1383
清水大師寺 恵比寿 大田市温泉津町小浜408
楞厳寺 布袋尊 大田市温泉津町ハ−67
石見高野寺 寿老人 大田市温泉津町井田ハ−480

◆注意していること
 1.個人の住宅が風景に写った場合、写真全体の0.7%以下としています。(デパート,スーパー,ホテル,旅館,公共施設などは除く)
 2.写真が規制されている名所の場合は、撮影及び掲載可能か確認をして掲載しています。
撮影:又は撮影F:FUJIFILM FinePix−F410, 撮影C:OLYMPUS C−750UZoom, 撮影D:KONIKA MINOLTA DiMAGE−Z3

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