懐かしい温泉津町温泉津・福光周辺風景
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西田 ヨズクの里
 FX01 よずくはで [拡大  #FX01−1 よずくはで [拡大
 撮影J:199*年9月 温泉津町西田  撮影J:199*年9月 温泉津町西田
 「よずくはで」と、「はでご」に稲束を架(か)ける作業を撮影した写真です。「よずく」とはこの地方で、ミミズクのことを方言でその様にいいます。全体の形が、耳に似た羽角(うかく)をもつミミズクが、木に止まって羽を休めている姿に似ていることから名付けられたそうです。この形のものは全国的にも珍しく、現在、コンバインと乾燥機に依存する時代に、天日干しの良さと観光目的により、温泉津町西田地区にしか見られない形だそうです。この形のメリットは、「はでご」の材料の木材が6本で済むことと、木材が三角構造に組まれ、横の力に強いことです。またこの地に吹く強い谷風に対し、「平はで」の様に平面全体で風を受けることなく、360度どの方向に対しても風を通す構造になっていることです。高さは5〜6mあります。
注1.「よずくはで」は数年前まで温泉津町西田地区以外でも温泉津町上村と飯原,その他町内の数箇所で見られた形だそうです。
注2.ネットで調べると島根県浜田市三隅町室谷地区にも「よずくはで」と呼ばれる同形の稲架(はで)があり、現在も作られているそうです。
注3.似た形は全国にあるそうですが、「よずくはで」の横木を延ばし、一段の「平はで」を前後に付けた形は、複合型と呼ばれ、形もミミズクに見えませんから「よずくはで」とは呼ばないそうです。2005.06.25追記入
はでごはぜご:稲束を架けて干すために丸木や竹,鉄パイプなどで組まれた構造物をいいます。出雲地方では稲架木(はでぎ)というそうです。
■稲を干した全体を「稲架:はで」,「はぜ」といいます。


★写真は温泉津在住の室田譲治さんによって撮影されたものです。
 #FX01−2 よずくはで  #FX01−3 よずくはで
 撮影J:199*年9月 温泉津町西田  撮影J:199*年9月 温泉津町西田
ミミズク:フクロウ科に属する種類で、この地ではコノハズクが知られています。漢字で木菟・角鴟(ずく=みみずく)と書き、木に止まる兎(うさぎ)を意味していて、耳に似た羽角(うかく)をもつミミズクがウサギに似ていて、木に止まっていることから名付けられた様です。木菟(ずく)に耳がなくてミミズクというのか分かりませんが、辞書には木菟(ずく)はミミズクの異名とありました。インターネトで調べた中に、木菟(ずく)は兎(うさぎ)の耳でないある部分(足の腿)が、フクロウのそれと似ていて、木菟をフクロウのこととし、フクロウに耳が付いているのが耳木菟(みみずく)と記載されていました。
■木菟>菟(うさぎ):木に止まる兎,角鴟>鴟(とび):角のあるトビ
■俳句の季語:木菟(ずく)と木兎(みみずく)は漢字が違う。
■本ホームページでは木菟(ずく)はフクロウ科の鳥を表し、木兎(みみずく)をミミズクとします。よって木菟(ずく)の漢字を使ってミミズクとするとき、耳木菟と書きます。
木葉木菟コノハズク:フクロウ科>コノハズク属亜種 フクロウ科の中でも小型種、全長20cm前後、翼開長45cm。全体が灰褐色で、濃く褐色した斑紋と白い斑紋が入り混じっている。赤茶の褐色タイプもいる。目が黄色。羽角(うかく)は小さく2cm前後。倒れていると見た目分からない。ブッポウソーと鳴く。仏法僧(ブッポウソウ)はデデッ・ポーポーまたはゲゲッ・ゴーゴーと鳴き、人が発する鳴き声は地方で異なる。
大木葉木菟オオコノハズク:フクロウ科>コノハズク属 羽角がコノハズクより大きく、目が橙色。
■青葉木菟アオバズク:フクロウ科フクロウ属羽角がなくミミズクでない
羽角(うかく):耳や角に見える飾り羽。フクロウ科のミミズクにある。
  フクロウ    ミミズク
 
■フクロウの仲間 松江フォーゲルパークのフクロウ小屋 ■ミミズクの仲間 ミミズク・フクロウ動画
 #F042−3 よずくはで  #F042−2 よずくはで
 撮影DSC:2007/10/12 12:30 温泉津町西田  撮影DSC:2007/10/12 温泉津町西田
 #F042−5 よずくはで[拡大]  #F042−18 よずくはで
 撮影C:2007/10/10 温泉津町西田  撮影F7:2012/10/07 温泉津町
 #F042−8 ヨズクの里バス停  #F042−9 ヨズクの里
市営:大田市生活バス>湯里線(5.8km) 時刻表湯里線時刻表
    湯里駅⇔湯港橋⇔湯里まちセン⇔郷⇔ヨズクの里
 
 #F042−10,−12 ヨズクの里  #F042−11,−13 ヨズクの里
 撮影F7:2012/10/07 温泉津町西田  撮影F7:2012/10/07 温泉津町西田

ヨズクハデの由来


 伝説によると、神代のむかし上津綿津美命ウワヅワタツミノミコトと上筒男命ウワヅツオノミコトは、イザナギノミコトに従って温泉津の日祖ヒソの海岸に上陸されました。
 安住の地を求め、小浜コハマで一夜を過ごされたところを「仮屋カリヤ」と云い、昼になり、薪を集めご飯を作って食べられたところを「飯原ハンバラ」と云います。「ここで住もうか」と相談されましたが「否」という意見が多かったので「いや」という地名がつき、荷物を背負うにちなんで「負いばら」から「老原オイバラ」の名が生まれ、西田ニシタに辿り着かれた神様たちは、そこにそびえる水上山の姿が気に入り「ここに鎮座しよう」と落ち着かれました。今も「水上神社」には、この二柱が祭られています。
 海上を守る神様である二柱は、通り道である上村,飯原や西田の人々に魚網を干すやり方を取り入れた稲ハデの作り方を指導されました。狭い面積を効率的に使え、材料の丸太も普通の稲ハデに比べ三分の一ですみ、又、海からの西風にも倒れることが少なく、短時間で組み立てられるので、人々は神様のすぐれた知恵に感謝しました。
 ヨズクとは鳥のフクロウのことであり、四角垂の塔に巨大なフクロウが羽根を休めて、うずくまっているように見えることからこの稲ハデは『ヨズクハデ』と呼ばれるようになりました。
 秋の水稲の刈り取り時期になると、「秋の風物詩」として『ヨズクの里』を訪れる人は今も絶えません。
大田市指定 有形民俗文化財
西田 ヨズクハデ 平成17年9月7日指定

 ヨズクハデは、かつて西田地区を中心とし、飯原、上村、福光、市 地区で盛んに建てられていたが、現在西田地区でのみ伝承されている。全国的にも温泉津町の一部でしか見られない稲掛けである。丸太四本を四角錘に組み稲掛けをした姿を、ヨズク(ふくろう)に見立てたことが語源といわれている。どの角度からも三角錐にみえることから、地元では三又とも呼ばれている。
 伝説によると、水上神社に祭られている二柱の神が、台風の度に稲ハデが倒壊し、悩んでいる里人に、魚網を干す方法を伝えたのがはじまりといわれている。性能としては、横風に強く、一度に米五俵分の稲が乾燥できる。
 現在も西田の農業習俗として伝承されていることは希少であり、石見銀山遺跡の文化的景観としても評価されている。

総高:約5.0m
幅  :約5.0m
大田市教育委員会 平成17年10月1日設置
 #F042−14,−15 よずくはで  #F042−16,−17 よずくはで
 撮影F7:2012/10/07 温泉津町西田  撮影F7:2012/10/07 温泉津町西田


温泉津やきものの里
 FX02,−1 登り窯(積雪の朝) [拡大  #FX02−2,−3 登り窯(秋のやきもの祭り前) [拡大
 撮影J:199*年1月 温泉津 やきものの里   撮影J:199*年9月 温泉津 やきものの里


温泉津港(ゆのつこう)
 FX03,−3,−2 温泉津港 [拡大  #FX03−4,−1,−3 温泉津港 [拡大
 撮影J:199*年*月 温泉津小浜 温泉津港  撮影J:199*年*月 温泉津小浜 温泉津港


◆注意していること
 1.個人の住宅が風景に写った場合、写真全体の0.7%以下としています。(スーパー,店,旅館,民宿,公共施設などは除く)
 2.写真が規制されている名所の場合は、撮影及び掲載可能か確認をして掲載しています。
撮影J:室田譲治さん一眼レフカメラで撮影(エプソンPM−A870スキャナーで読み取り), 撮影C:OLYMPUS C−750UZoom

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