櫛島公園 櫛島 (島根県中部の風景) Fukutomi design office 元に戻る TOP画面
 櫛島(くしじま)は櫛島公園近くにある無人の島で、大きさは小さなでこぼこを無視すると、串山を中心に一周約1km(周長1.8Km)あります。周辺は、磯釣り,海水浴,ダイビング,キャンプなどできる温泉津の観光名所の一つです。この島は釣り人にとって有名な島で、休日はイシダイやクロダイを求めて、他県からも訪れる人がいます。  名の由来:後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が隠岐島(おきのしま)に流される時に、この地に立ち寄られて、村人に櫛を授(さず)けた伝説があり、櫛島という名前が付いたそうです。資料によっては、流される途中嵐にあって、この島にたどり着いたと記述されたものもあります。
 
 #F027−5 撮影C:2006/04/07 櫛島公園  #F027−3 撮影C:2006/04/07
 #F027−3a 撮影C:2006/04/07  #F027−3b 撮影C:2006/04/07
 F027−8 撮影C:2006/04/07 串山城址(櫛島城址)  #F027−7 撮影F7:2006/04/07 串山城址(櫛島城址)
 #F027−4 撮影C:2006/04/07 串山から [拡大  #F027−6 撮影C:2006/04/07 串山から [拡大

 #F027 撮影C:2005/01/14 櫛島公園  #F027−1 撮影C:2005/01/14 [拡大
 #F027−10,−11 撮影F7:2007/01/18  #F027−12,−13 撮影F7:2007/01/18
 #F027−2 撮影C:2005/01/14  櫛島周辺地図









             
                           


磯で見かけた生物
 #F027−a1 撮影C:2006/04/07 タコ  #F027−a2 撮影F7:2007/01/18 ヒトデ
 撮影者は島の潮溜まりで見つけて撮影し、持ち帰って酢ダコにして食べたそうです。少し気持悪い気がしますが、この撮影者は食べることに関してはどん欲です。
■タコの茹(ゆ)で方:全身に塩をかけ、タワシでゴシゴシ擦(こす)り、ぬめりを取ります。後は水で塩とぬめりを完全に洗い流します。この処理をいいかげんにすると生臭いものになるそうです。酢ダコの場合は食感も大事なので、スリコギで叩く加減は難しく、3分以上叩いてはいけないそうです。後は腕先(足先)から熱湯に入れ、形良く茹でることが大切です。茹でる時間は熱湯の量にもよると思いますが、1Kg/1分とされています。茹で時間が長くなると硬くなります。酢ダコの場合は単なる水でなく、酢を入れて茹でると完全に臭みが無くなるそうです。
 


その他資料
櫛島(くしじま):
 櫛島公園近くにある無人の島で、大きさは小さなでこぼこを無視すると、串山を中心に一周約1km(測量された周囲長1.8Km)あります。周辺は、磯釣り,海水浴,ダイビング,キャンプなどできる温泉津の観光名所の一つです。この島は釣り人にとって有名な島で、休日はイシダイクロダイを求めて、他県からも訪れる人がいます。海水浴場は少し変わっています。普通砂浜がある海岸が海水浴場ですが、ここは岩場です。岩場と言っても日本海反対の内海側なので波は穏やかで、安全なことから海水浴場に指定されています。ダイビングの装備はいりませんが、水中メガネ(マスクにシュノーケルが付いたものがベスト)は必要と思います。海底を覗(のぞ)かなければここに来た意味がありません。水中メガネ(マスク)を付けて海底や魚を見て周ることをシュノーケリングとかスノーケリングと言います。ダイビングと違って初心者が浅瀬で気軽に楽しめる遊びです。
  
イシダイ(幼魚シマダイ) クチグロ(老成魚)  イシガキダイ(県西部)
 
クロダイ(関西名 チヌ) メジナ(地方名 クロヤ,グレ)
 
■名の由来:
 後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が隠岐島(おきのしま)に流される時に、この地に立ち寄られて、村人に櫛を授(さず)けた伝説があり、櫛島という名前が付いたそうです。資料によっては、流される途中嵐にあって、この島にたどり着いたと記述されたものもあります。

後鳥羽上皇(ごとばじょうこう):1180年の鎌倉時代に、高倉天皇の四子として生まれ、幼くして天皇になられました。和歌,武芸に優れた才能を発揮し、新古今和歌集の和歌の選出と改定をされました。承久の乱で、鎌倉幕府に敗れ島根県の隠岐島に流刑され、60歳で亡くなられました。
承久の乱(じょうきゅうのらん):1221年に朝廷(後鳥羽上皇)が鎌倉幕府(北条義時,北条政子)から政権をとりもどそうとした戦いです。
 
■櫛島公園:
 キャンプ場,河岸遊歩道,体育館,小運動場,レストハウスや海水浴関連施設があります。

広さ:3ha  体育館 1,289u, 小運動場 96u
レストハウス(a rest house):休憩所
■串山城(くしやまじょう)/櫛島城(くしじまじょう):
 中世前の頃はよく分かっていません。城主出原源次郎四郎の頃(天文九年,1540)に尼子氏から侵略を受け、防戦して城を守った記録があるそうです。永禄八年(1565)に温泉佐渡守(ゆさどのかみ)が城主となったそうです。毛利氏が治めていた時代では鵜丸城,笹島城の三城で毛利水軍の拠点となり、石見銀山の銀搬出,運搬の安全を担っていました。 

■串
山(くしやま):
 標高37m(国土地理院地図では標高42m)
 北緯35度05分50秒,東経132度20分28秒

注:串山を櫛山と書いた資料が沢山あります。元々は串山で正しいと思いますが、只今調べています。2006.04.05
■鵜丸城(うのまるじょう):
 鵜丸城は毛利元就の命により、沖泊港,温泉津港の防衛、主に石見銀山の銀搬出,運搬に関する安全と安定を図る目的で、1571年(元亀2年)に毛利輝元が築城しました。対岸の串山城(櫛島城)と笹島城とで、三つの城を基盤に毛利水軍の拠点となっていました。特に鵜丸城は銃陣を配した実践的工夫がなされていたそうです。また毛利水軍は周辺海域を征し、出雲地方を征服する戦略拠点として重要視していたそうです。
城跡へ上がる階段口の説明看板を参考にしました。

石見銀山(いわみぎんざん):
鵜丸灯台(温泉津港灯台):

◆注意していること
 1.個人の住宅が風景に写った場合、写真全体の0.7%以下としています。(デパート,スーパー,ホテル,旅館,公共施設などは除く)
 2.写真が規制されている名所の場合は、撮影及び掲載可能か確認をして掲載しています。
撮影:又は撮影F:FUJIFILM FinePix−F410, 撮影C:OLYMPUS C−750UZoom, 撮影D:KONIKA MINOLTA DiMAGE−Z3

Copyright ©2003-2014 Fukutomi design office All rights reserved