清水寺 (石見銀山遺跡関連) Fukutomi design office 元に戻る TOP画面
 清水寺(せいすいじ)は、元々仙山(せんのやま)頂上付近の石銀(いしがね)に天池寺という名で建てられていたそうです。それが平安時代に清水谷に移され改名して清水寺となり、幕末に仙山(せんのやま)中腹に移転したそうです。この時代、石見銀山に関係した毛利輝元や大久保長安が崇敬したそうです。その後明治11年(1878)に現在の地に移されました。このお寺には、徳川家康公から頂いた「辻ヶ花染丁字文胴服」を所有されており、これは国の重要文化財に指定されています。(県ホームページより) ■宗名:真言宗
■山号:銀峰山,寺号:清水寺
■本尊:十一面観世音菩薩
■創建:推古天皇の時代(中世は巨大なお寺であったと伝えられる)
■国指定の重文化財:辻ヶ花染丁字文胴服
■県指定の文化財:
 天正20年(1592)の狩野重信筆の絵馬二面と絹本著色仏涅槃図,
 銘ある備前焼瓶(1616),銘ある鰐口(1563),紙本墨書経巻一巻
■石見銀山遺跡関連
 [石見銀山跡][五百羅漢][山吹城跡][矢滝城跡][矢筈城跡
 [石見城跡][鞆ヶ浦港][沖泊港
  
 #F072,−2  #F072−1,−3
 #F072−4  #F072−5


資料
辻ヶ花染丁字文胴服(つじがはなぞめちょうじもんどうぶく)
/辻が花染丁子紋道服(つじがはなぞめちょうじもんどうぶく):
 
 備中出身の山師 安原伝兵衛が徳川家康公から頂いた胴服(どうぶく)で、国指定の重要文化財です。
 慶長7年(1602)安原伝兵衛は、近年銀の採掘量が減り続けたことにより、清水寺(せいすいじ)に祈願したそうです。祈願すること七日目に、「銀の釜」を賜(たまわ)る夢を見たそうです。その夢を大久保石見守に申し上げ、資金を得て釜屋間歩を発見し、大量に銀を採掘したそうです。慶長8年(1603)徳川幕府に多額の運上金を納めたことから、伏見(ふしみ)において家康公からこの胴服(どうぶく)と扇子(せんす)を頂いたそうです。そしてその後、胴服はお寺に納められたそうです。
■辻ヶ花(つじがはな)/辻ヶ花染(つじがはなぞめ):室町時代初期に出現した華麗な絞り染めの一種で、江戸初期まで流行しました。由来はよくわかっていないそうで、斜めに走った花模様に絞りを解いて現れた十字模様が、町の辻(十字路)に似ているという説などがあります。
■丁字文(ちょうじもん)/丁子紋(ちょうじもん):
フトモモ科の常緑高木の種子を図柄にした紋です。ダイコンを2〜8本配して、図案化された形をしています。
■胴服(どうぶく):室町時代から江戸時代にかけて武将が羽織った腰丈の上着。胴着(どうぎ)
■道服(どうぶく/どうふく):高貴な方が着物の上に羽織った上衣で、その後道中着(どうちゅうぎ)となり、羽織の元になったそうです。


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