佐毘売山神社 (石見銀山遺跡関連) Fukutomi design office 元に戻る TOP画面
 佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)は、鉱山の護り神である金山彦命が祭神として祀られ、別名を「山神社」と言い、鉱夫たちや里人からは「山神さん」と呼ばれていました。祭神は、永享六年(1434)室町幕府六代将軍足利義教の命によって、周防の国守大内時世が、美濃郡益田から、分霊を移し、祀ったと伝えられています。
 鉱山を所有した幾代もの権力者は、崇敬して武運長久と、銀山の盛山を祈願したそうです。
 社殿は文政元年(1818)の大火で焼失しましたが、翌二年(1819)に代官所の援助を得て、本殿、幣殿、拝殿、神楽殿などが再建されました。特に拝殿の重層屋根は天領特有なものだそうです。
■祭神:金山彦命(かなやまびこのみこと)/金屋子彦命
 自然物を司る神の一人で、鉱物の神様です。鉱山の護り神として信仰されています。

■国指定の史跡:昭和44年4月14日、文部省指定第一九八号
■石見銀山遺跡関連
 [石見銀山跡][五百羅漢][山吹城跡][矢滝城跡][矢筈城跡
 [石見城跡][鞆ヶ浦港][沖泊港
  
 #F070,−2,−4 上:鳥居 中:神楽殿  #F070−1,−3,−5
 石垣と石階段の美しい、全国一規模の山神社です。
 神社の左手には石垣で組まれた住居跡が残っています。裏手を少し上ると、出土谷(だしつちだに)の製錬所跡があり、石見銀山で初めての、「灰吹銀」が見つかっています。
 亀がダーっとしていましたので、そばにあった柄杓(ひしゃく)で一口。ちょっとぬるい感じでした。暇でしたので、黒いホースを追って取水口へ。飲めると言ったら飲めるし、飲めないと言ったら飲めない感じです。
 #F070−6  #F070−7 拝殿
 #F070−8 本殿  #F070−9
 #F070−10 神社説明板  #F070−11
国指定史跡
石見銀山遺跡 佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)
(昭和四十四年四月十四日、文部省指定第一九八号)

 別名で「山神社」といい、鉱夫たちや里人からは「山神さん」と呼ばれて親しまれています。
 この祭神は鉱山の護り神様である金山彦命です。
永享六年(1434)室町幕府六代将軍足利義教の命によって周防(山口県)の国守大内時世は美濃郡益田(益田市)からご分霊を移し祀ったと伝えられています。
 戦国時代鉱山を領有した武将、大内氏、尼子氏、毛利氏などは崇敬して数々の寄進や社殿建立を行い武運長久と銀山の盛山を祈願しました。
 江戸期に入って徳川家康の石見銀山奉行として入山した大久保石見守長安は五十石の社領を寄進して毎年正月十日には銀山の大盛を祈願して崇敬しました。
 社殿は文政元年(1818)の大火で焼失しましたが翌二年(1819)には代官所の援助を得て、本殿、幣殿、拝殿、神楽殿などが再建されました。特に拝殿の重層屋根は天領特有なものです。
指定区域 実測 1,209,024平方メートル
H3.3.30 大田市教育委員会




■三瓶山は昔佐毘賣山=佐比売山(さひめやま)と呼ばれていたそうです。しかし神亀3年(726)に朝廷の命により、佐毘賣山という名を、三瓶山に改名したそうです。佐毘売山神社と三瓶山の関係に関してましては、HP.管理人にはよく分りません。
★注:佐毘売山神社/佐毘賣山神社は、他の地にも幾つかあり、三瓶山との関係はないようです。H19(2007).02.16

注:説明文を利用される場合は、大田市役所の許可が必要と思います。本ホームページでは大田市名所の観光案内として載せています。


資料
■神社の建物の名称
社殿:神社の建物のこと(拝殿,幣殿,本殿,神楽殿)
拝殿:本殿の手前にある、礼拝をする建物
幣殿:拝殿と本殿の間にある建物
本殿:祭神が祀られている建物
神楽殿:神社の境内にある神楽を演ずる建物。前左右に扉のない建物
 


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