城上神社 (石見銀山遺跡関連) Fukutomi design office 元に戻る TOP画面
 城上神社(きがみじんじゃ)は、もともと馬路の城上山(高山)に建てられていたそうです。1434年に大内氏が石見銀山が栄えることを願って、大森の香語山(愛宕山)に移したしたと伝えられ、その後銀山を所有した、毛利氏によって1577年に現在の場所に移されたそうです。 ■住所:島根県大田市大森町イ−1477
■祭神:大物主命(大国主命)
■拝殿:重層式入母屋(いりもや)造りの瓦葦屋根
     昭和52年5月に島根県の文化財に指定
■石見銀山遺跡関連
 [石見銀山跡][五百羅漢][山吹城跡][矢滝城跡][矢筈城跡
 [石見城跡][鞆ヶ浦港][沖泊港
    
 #F066 2007/01/16 城上神社 鳥居  #F066−1 2007/01/16 城上神社 鳥居
 #F066−3,−5,−6 2007/01/16 拝殿  #F066−2,−4,−7 2007/01/16
 #F066−8,−10 2007/01/16 鳴き竜の鏡天井  #F066−9,−11 2007/01/16 鳴き竜
 拝殿の鏡天井を見上げると、竜は色彩豊かに天井一面に描かれています。案内に従い中央に座り、手を叩くと、下の床と共鳴して響きます。叩く音の後にリーン、リーンと響く余韻があるそうですが、撮影者はピーン、ピーンとかキーン、キーンに聞こえたそうです。 文化15年(1818)三瓶山麓の絵師 梶屋円隣斉守休(えんりんさいもりやす)が描いたとされています。絵は市指定の文化財になっています。これだけの色彩の絵が市指定にとどまっていることは、かなり補修されていると考えられます。
 #F066−12 2007/01/16 亀石説明板  #F066−13 2007/01/16 亀石
亀石

 その昔延喜年間(1000年ぐらい前)城上神社が仁摩町馬路の城上山に有った時、海防の神と崇められ崇敬者から珍しい貝の化石のある石と、海亀の姿の石を奉納して海の安全を祈った。
 永享年間当神社を愛宕山へ遷座したときはこの二つの石運ばれたが、その後、天正年代現在地に遷座したとき亀石を運ぶことを忘れられた。
 亀石は「自分の甲(亀甲)は、城上神社の紋所だ、行かなければ」と、山を下ったが、自らの重さに山の麓(ふもと)の川底へ沈んでしまって、どうすることも出来なくなった。
 
 
 それからは、その川岸を通ると川の中から不思議な音が聞こえるようになった。静かな夜だとちょうど小豆をとぐような音が聞こえた。物好きな人々で道端まで上げてみたら亀の形をした石であった。それからは小豆石の名で大正年代まで道端に置かれた。
 この石が或(あ)る夜、敬神家である田中某氏の夢の中に出て事の次第を打ち明けて、城上神社の境内へ上げて欲しいと頼んだ。田中某氏は早速そのことを宮司に告げて、此処(ここ)に落ち着くことになった。
(城上神社伝記より) 


資料
■社宝:大久保長安が奉納したと伝えられる、能面と鼓(つづみ)
■相生の松(あいおいのまつ):樹齢約300年のアカマツとクロマツが一体となっている樹です。高さ約15m,周長約5mあります。
■梛の木(なぎのき):樹齢100年、県の名木に選ばれています。

■大森の名の由来:
神社の木々が森の様に茂っていたからと、伝えられているそうです。
島根県ホームページより(不確かもしれません。)
■城上神社の歴史
・もともと馬路の城上山(高山)に建てられていた。創建の年代不明
・永享 6年(1434)大内氏が銀山が栄えることを願って大森の
             香語山(かごやま)(愛宕山(あたごやま))に移す
・天正 5年(1577)その後銀山を所有した毛利氏が現在の地に移す
・寛政12年(1800)3月24日大森の2/3を焼き尽くした寛政の大火
            社殿焼失
・文化 9年(1812)拝殿を再建
・文化15年(1818)三瓶の絵師梶屋円隣斉守休が鳴き竜の絵を描く
 
■神社の建物の名称
社殿:神社の建物のこと(拝殿,幣殿,本殿,神楽殿)
拝殿:本殿の手前にある、礼拝をする建物
幣殿:拝殿と本殿の間にある建物
本殿:祭神が祀られている建物
神楽殿:神社の境内にある神楽を演ずる建物。前左右に扉のない建物
 


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