石見畳ヶ浦 (石見海浜公園) Fukutomi design office 元に戻る TOP画面
石見畳ヶ浦(いわみたたみがうら)の広さは約49,000u、東京ドームより少し広いです。全体は、砂岩や礫岩(れきがん)などの岩盤が、波によって平たんに削られた海食台です。この海岸は別名「千畳敷(せんじょうじき)」とよばれ、節理によって一定間隔に亀裂が走り、畳を敷き詰めた様に見えることから呼ばれています。所々ぽこぽこ椅子の様な丸い石が並んでいるのが見られます。ノジュール(団塊)と言い、波の浸食によってできたものです。海水面の波の侵食ではなく海水中で侵食された岩盤が、明治頃の地震によって隆起したものだそうです。 住所:島根県浜田市国分町 唐鐘海岸
地図地図:Mapion地図Mapion地図, 国土地理院地図地理院地図
海食台:海水面近くの海底が海水中の波の侵食作用で、平たく削られたなだらかな斜面を言い、海食棚ともいう。
節理:マグマが冷え固まるとき、温度差に伴う体積の変化に差が大きい部分に亀裂を生じる。この亀裂をいう。畳ヶ浦の場合は、砂岩のような堆積岩大地が、動くことによって生じた亀裂と考えられている。
ノジュール:堆積岩にできる硬い塊(かたま)り
    
 #F025−5 石見海浜公園 駐車場  #F025−6 石見海浜公園 海側撮影
 #F025−7〜10 畳ヶ浦 ノジュール(団塊)  #F025−11,−12 ノジュール(団塊)
 #F025−13 節理  #F025−14 節理
 #F025−15 馬の背  #F025−16 馬の背
 #F025−17 きのこ岩  #F025−18 きのこ岩
 #F025−19,−20 貝化石  #F025−21,−22 化石
 #F025−5 石見畳ヶ浦(海食洞)  #F025−6 石見畳ヶ浦(海食崖)
 #F025−23  #F025−24
■石見畳ヶ浦 (国指定天然記念物 指定:昭和七年三月二十五日)
 畳ヶ浦は別名を床の浦(とこのうら)とも呼ばれ、およそ四万九千平方メートルの海床(かいしょう)が広がり、高さ約二十五メートルの見事な礫岩(れきがん)、砂岩の海食崖(かいしょくがい)や、いくつもの断層が見られます。
 海床は千畳敷といい、江戸時代(一八一七年)の文献にも景勝地として紹介されています。その後、明治五年(一八七二)二月六日の浜田地震で隆起し、現在のすがたになったといわれています。
 千畳敷は約二千万年前に堆積した砂岩層で、多種類の貝や流木、鯨骨(げいこつ)などの化石が含まれています。また床面には数多くの腰かけ状の丸い石(団塊)が並んでいます。これは貝の遺がいが穴の内に溜まり、貝化石の石灰質分で砂つぶが固められ、侵食を受けても残ったものです。
 畳ヶ浦は景観のすばらしさとともに、地質学など学術資料としても大変貴重なものです。

本文を利用する場合は、浜田市観光課の許可が必要です。
本ホームページは、浜田の観光案内を目的に掲載しています。
■断層と海食洞(かいしょくどう)
 石見畳ヶ浦の最東部にめがね橋があります。この橋の下には浅い入り江となって崖の下がくぼんでいます。これを海食洞(かいしょくどう)といい、断層のやわらかい部分が波によって侵食されてできたものです。よく見てみると断層によって地層がズレているようすが観察できます。
■貝化石
 化石は私たちに生物の進化と地層の時代、古環境を教えてくれます。石見畳ヶ浦の砂岩層で発見される貝化石は約40種ありますが、その大部分が南方系のものですから、およそ1500万年前には暖流の影響が強く、常夏のような気候(熱帯・亜熱帯気候)だったと考えられます。
■石見畳ヶ浦の地層
■浜田地震
 1872(明治5)年3月14日夕方、浜田市を中心にマグニチュード7.1と推定される地震が発生し、死者1000人以上の大きな被害をもたらしました。この地震によって国分海岸(こくぶかいがん)一帯が隆起し、石見畳ヶ浦は現在の姿となりました。
■千畳敷(せんじょうじき)
 千畳敷は、およそ49,000uの広がりをもつ、平坦な砂岩層の侵食面です。その表面には縦横に走る無数の亀裂が見られます。これを節理(せつり)といいますが、よく見るとその方向には規則性があり、ちょうど畳(たたみ)を敷いたような形をしています。千畳敷という名称はここからきています。

■節理(せつり)
 砂岩のような堆積岩の節理は、大地が動くことによって生じた亀裂と考えられています。千畳敷では、幾つかの断層がみられますので、これらの活動と関連して節理が生じたものと考えられます。
■ノジュール(団塊:だんかい)
 千畳敷でまず目につくのは、ノジュールと呼ばれる腰かけ状の丸い岩です。これは貝殻に含まれている炭酸カルシウムなどがとけだして、化石などに集まり、砂岩層中にかたい部分を形成します。その後、かたい部分の周囲が波で侵食されて、丸い岩として顔をだしてきたものです。

●およそ1500万年前の海底で貝殻が堆積
●貝殻などは波の水流作用によって部分部分に集まる。
●貝などから溶け出した炭酸カルシウムはその周囲をかたくする。
●年代を経て、幾つもの層は下の層を押しかため、砂の層は砂岩に変化。炭酸カルシウムの溶け出した周囲はよりかたい砂岩に変化
●地殻変動により、地層に傾きを生じる。
●波の浸食により、やわらかい砂岩が削られ、かたい部分がのこり、
 ノジュールを形成
■馬の背
 馬の背は千畳敷中ほどにあります。周囲の砂岩層よりかたいために小高い丘として残りました。馬の背の地層は、断層によって山側の地層よりもせり上がり、海側に傾いています。

■きのこ岩
 風雨によってやわらかい部分が削られ、かたい部分が残り、きのこの様な形になった岩です。

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詳細資料
海食台(かいしょくだい):海食崖(かいしょくがい)の下にあり海水面近くの海底が海水中の波の侵食作用で、平たく削られたなだらかな斜面を言い、海食棚ともいうそうです。また水面近くの波によって削られてできた波食台(はしょくだい)または波食棚を含めて海食台ということがあるそうです。

海食崖(かいしょくがい):

海食洞(かいしょくどう):

節理(せつり):マグマがゆっくり冷却されて固まるとき、温度差に伴う体積の減少変化に差ができ、その差が大きい部分に割れ目が出来るそうで、この割れ目を節理というそうです。火山からマグマが噴出して斜面を流れた様な場合、外の表面と内部で温度こう配を生じ、温度こう配の低い外側から固まるわけですが、ある温度差ごとと、冷え固まる経過時間と、岩石の質によって体積の減少率が変わり、割れ目となる様です。よってこの様に冷えた岩石(安山岩)は、板状の節理になるそうです。またマグマがゆっくり冷える環境で、場所と冷えて行く方向が違うと玄武岩と安山岩は柱状節理に、花崗岩は方状節理になるそうです。

ノジュール(団塊:だんかい):堆積岩にできる硬い塊(かたま)り。硬くなる理由は色々あるそうですが、石見畳ヶ浦の場合は、貝殻などが海水の流れの作用で海底に部分的に集まり、長い年月の間に貝殻から溶け出た炭酸カルシウムが、周りの砂岩を硬くしたのだそうです。よって波の侵食に弱い砂岩層の砂やれきが削られ、炭酸カルシウムを含んだ硬い砂岩がぽこぽこ残ったそうです。当然ノジュールの中には沢山の貝の化石があります。

 石見畳ヶ浦のノジュールは11列で構成されています。列は湾曲していますが部分的に直線的で、1列に並んで見えます。不思議なので調べてみました。「1500万年前の海底で、貝殻が部分的に集まった砂の地層と、含まない砂の地層が交互に堆積したそうです。海底の砂は海水の重みとその上にある砂の重みから圧力を受け砂岩になります。その後地殻変動で地層がずれ、水平だった層が傾き、垂直面が上に表れることになります。上の図の様に垂直面が90度近くずれてはいないと思いますが、ある程度の角度でずれれば垂直面は見えます。後は、波が貝から出た炭酸カルシウムを含まない弱い砂岩を平らに削り、今の1列に延びたノジュールになったということです。」


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