双川峡(島根県西部の風景) Fukutomi design office  元に戻る TOP画面
 双川峡(そうせんきょう)は、三隅川支流の板井川上流に位置し、弥畝山西断層に沿って形成されている渓谷です。駐車場案内板から約350m上流に景勝の中心となる総落差18mの豪快な滝「養戸の滝」があります。またそばには大イチョウや、京都清水から飛来したといわれる観音様を安置した御堂があります。 地図住所:島根県益田市美都町板井川246番地
  三隅川支流>板井川上流200mに沿う渓谷
地図地図:国土地理院地図地理院地図
地図弥畝山(やうねやま):標高961m,金城町弥栄村
地図養戸の滝(ようどのたき):別名観音滝
  2段滝(上段10m,下段8m)総落差18m
地図大イチョウ:養戸の滝の前にある大木、周長5.6m、高さ43m

 #F104,−02 左側の川 2008/05/02  #F104−1 案内板右側の川と小さな滝
左案内板の内容
双川峡(そうせんきょう)
 平成16年12月17日 県指定名勝
 美都町板井川246番地ほか
双川峡は、三隅川の支流に位置し、弥畝山西断層(北東−南西方向)に沿って形成されている渓谷である。
双川峡の中心をなす養戸の滝(観音滝)は、落差20m、瀑布は豪快であり、ときには霊感をも感じさせる。そばには、胸高周り5.6m高さ43mの大イチョウのほか、京都清水から飛来したといわれる観音様を安置した堂がある。滝の下流は、凝灰岩の巨岩、奇石が積み重なり、ケヤキ林を主にカエデ類の落葉広葉樹やウラジロガシ、タブノキ、ヤブツバキ等の渓谷特有の常緑樹が空を彩る。林内にはヨコグラノキ、ホソバタブ、カヤノキ、サツマイナモリ等この地方では分布がまれな植物も生育している。
双川峡は、島根県西部の地形的特徴と貴重な植生を残すとともに、四季を通して滝と渓流の岩石と周囲の樹木との調和を楽しむことのできる景勝地である。
島根県教育委員会, 益田市教育委員会
注:説明文を利用される場合、許可が必要と思います。
 #F104−3,−5  #F104−4,−6 上:橋から下流を撮影 下:橋から上流を撮影
 #F104−7,−9 途中の案内板  #F104−8,−10
双川峡の案内
 昭和九年九月十八日、旧二川村あげて催された木魂祭のおりに、来賓に迎えられた時の本県内務部長松島樵山氏がここに遊ばれ、「双川峡」と名付けられた。入り口の急な山は城跡を止める登城山、この近くには薬師渕杉の渡瀬と景勝に富み、養戸の滝は落差20米に及ぶ。
 昭和十八年の大水害であずまや等倒壊や流失をしたが、箱庭にでも収められたようなこの天恵の自然は損なわれることもなく、昔のままの景観と幾多の伝説残し、多くの人に親しまれてきた。

滝を詠まれた歌一首
 滝水の太き落ざま見あかねば
   岩に立ちゐてしぶきにぬるる
    一路同人 益田市 斎藤枅陽氏

注:案内文を利用される場合、許可が必要と思います。

 
 観世音菩薩の伝説と十七夜祭
 町内都茂郷の盛谷山清源寺の松祝禅師が春三月隣村の熊野山へ行く道すがら、かねて聞き及ぶここ「養戸の滝」にこもらんと立ち寄られ「観世音菩薩この滝にあらせ給へ、霊験現し給へ」と一心に祈りておられた。すると忽(たちま)ち落ちる滝飛沫の間からきらきら光る金色の虹が映りだし、水音が絶えたと思う一瞬滝壺の辺り一面がこうこうと光輝いたという。いち早くこの事を伝え聞いた麓の人びとは、さては観音様の化身であろう。放っておいては勿体(もったい)ないこと早く祭りをしようと話が決った。ここから近い曽根という家の信心深い主人千吉という人が津和野に走り佛師に頼んで観音像建立を急いだ。
 やがて六月十五日、いよいよ観音像も出来上がり背中に背負うて曽根まで帰り庭臼の上へ一夜を休め、翌朝里人たちと養戸の滝へ運んで行き、新造された御堂に安置した。
 明けて十七日は、近郷の者も大勢集まり、盛大な観音祭りを行った。
 坂井川城主斎藤筑後守の信仰も厚く「十七夜祭」と定められ、永く今日に至っている。
今は七月十七日が祭日で参詣の人も多く深く崇められている。
 #F104−12 滝之御堂  #F104−13 大イチョウ
 F104−14,−16,−18,−19 養戸の滝(ようどのたき)  #F104−15,−17,−20 養戸の滝(別名:観音滝)


補足資料
 

撮影:又は撮影F:FUJIFILM FinePix−F410, 撮影C:OLYMPUS C−750UZoom, 撮影D:KONIKA MINOLTA DiMAGE−Z3

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