出雲大社 (島根県東部の観光名所) Fukutomi design office  元に戻る TOP画面
♪音声 出雲大社は、農業の神様を祀る神社ですが、縁結びの神,福の神の神社として広く知られています。明治以前は地名からと思いますが、杵築大社(きづきのおおやしろ)の名で呼ばれていました。明治四年(1871)に始まった神社制度により、社格が大社(たいしゃ)となり、社号が出雲大社となりました。
 元々は、天照大御神大国主命から葦原中国を譲り受ける条件として、出雲国多芸志の小浜に天日隅宮(あめのひすみのみや)という、天に届くほどに高い宮殿を造立したことが起こりとされています。
 本社で一番目立っているのは太さ3m,長さ8m,重さ1.5tの「大しめなわ」とそれが掛かった拝殿です。昭和34年に再建された新しい建物です。後にある本殿は古く、延享元年(1744)に造立された建物です。大社造りという日本最古の神社建築様式で、国宝に指定されています。
出雲大社(いづもたいしゃ/正式な読み:いづもおおやしろ)
住所:〒699-0701 島根県出雲市大社町 杵築東(きづきひがし)195
祭神:大国主命(おおくにぬしのみこと)
 素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子、または六世の孫。
 葦原中国(あしはらのなかつくに)を開拓経営した。
 大国主命=だいこくさま≠七福神の大黒天(※公式HP.より)
国宝:本殿,秋野鹿蒔絵手箱
国指定の重要文化財:
 太刀銘光忠,赤糸威肩白鎧兜大袖付,
 紙本墨書後醍醐天皇宸翰宝剣代綸旨,
 紙本墨書後醍醐天皇王道再興綸旨,
 宝治ニ年還宮儀式注進状,銅戈,硬玉勾玉
出雲大社関連:公式サイトネットニュース 地図:MapionYahoo

撮影2020/03/21
 #F074−84,−87  #F074−85,−86
 #F074−61,−63,−65 松の参道  #F074−62,−64,−66
 #F074−68 拝殿  #F074−69 八足門
 #F074−70右から天前社、御向社、御本殿,−75  #F074−73御本殿背面,−76
 #F074−72 素鵞社(そがのやしろ)  #F074−71 素鵞社(そがのやしろ)
 #F074−74 彰古館(しょうこかん)  #F074−74b 彰古館(しょうこかん)
 #F074−80,−78,−50 神楽殿  #F074−51,−79,−49 神楽殿
 拝殿の大注連縄より、神楽殿の注連縄の方が遥かに大きいです。
神楽殿注連縄:太さ8m,長さ13m,重さ約5.2
拝殿大注連縄:太さ3m,長さ 8m,重さ1.5(他に6m,1tの記述)
 拝殿入り口右の白い大きなポールに掲げられた日の丸国旗です。掲揚できるかたちの日の丸国旗としては、日本最大級だそうです。
縦8.7m×横13.6m、畳74枚分
材質は日々掲揚するため、アクリル繊維を丈夫に縫製したもので、
重さ約50Kg。掲揚塔の高さは平安大社48.5mより抑えた47m。
 #F074−83  #F074−82
 #F074−53,−54,−55 出雲大社前駅  #F074−56,−58,−59 一畑電鉄電車

 
撮影2011/12/24
 #F074−44,−46  #F074−45,−47 出雲大社の神紋:二重亀甲剣花角紋
 大注連縄(おおしめなわ):太さ3m,長さ8m,重さ1.5
二本のワラ縄を左巻きに綯(なっ)て横に伸びているのが注連縄(しめなわ)で、ふさの様にぶら下がっているのが〆の子(しめのこ)、垂れ下がったギザギザの白紙を紙垂(しで/別名:紙四手)というそうです。注連縄は、農耕信仰に深く関係する自然現象を形にしたもので、横に伸びた注連縄が雲、〆の子が雨、紙垂が雷を表しているそうです。
 この提灯の神紋は、二重亀甲剣花角紋(にじゅうきっこう・けんはなかくもん)というそうです。亀甲紋は、昔亀はめでたい海の化身と考えられていたことから、有名な神社の神紋になったそうです。二重は亀甲紋が重なっていることからで、中央の剣花角紋は剣が花角紋の後にある形で、全体でこの様にいうそうです。中央の似た紋に花菱紋があるそうですが、菱形ではなく角の角度が等しい花紋は花角紋というそうです。

撮影2011/01/03
 #F074−38,−40  #F074−39,−41 手前:拝殿 奥:本殿修復中
 #F074−42 絵馬  #F074−43 絵馬

撮影2008/05/05
 #F074−13,−15,−30  #F074−14,−14b,−16 上:拝殿,下:御守所
 #F074−17 八足門  #F074−18 八足門 出入り口
 #F074−19 釜社  #F074−20 氏社
 #F074−29 彰古館  #F074−33 西十九社
 #F074−21,−23,−25  #F074−22,−24,−26 手前:筑紫社,奥:本殿

撮影2007/01/15
 #F074−1,−3 拝殿 [拡大1][拡大2  #F074−2,−4 拝殿
 #F074−5,−6 拝殿左側  #F074−7,−8 拝殿右側
 #F074−9 御守所  #F074−11 八足門

古い時代の出雲大社
大社前の資料館で撮影2007/01/15(撮影許可は得ました。)
 #F074−27 古代の出雲大社(高さ約97m)  #F074−28 鎌倉時代の出雲大社(高さ約48.5m)
注:古代出雲歴史博物館展示の奈良・平安時代の大社に似ていますね。高さ97mの古代の大社ではないのかもしれません。古代出雲歴史博物館の説明によりますと、この時代の大社は雲太と呼ばれ高さ16丈(約48m),中心の柱直径3.6m,階段の長さ109mとありました。 ※1丈(じょう)=3.0303m,16丈=48.49m

島根県立古代出雲歴史博物館
 #F074−31 出雲大社 巨大本殿の柱  #F074−32 お土産品
説明板の内容 出雲大社 巨大本殿の柱
出雲大社境内遺跡出土「宇豆柱(うづばしら)、スギ材」
建造年代:鎌倉時代(1248年)
柱の直径:平均130cm
年輪の数:最大195本(本=年)
注1.博物館ホームページの資料では、大杉3本1組の柱直径は約3mとあり、説明板の書き方に間違いがあるかもしれません。
注2.右上の写真#F074−28の柱と思われます。2000年春拝殿地下室拡張工事の前調査で、八足門前より見つかりました。現在この柱は、南棟持柱の宇豆柱(うづばしら)と考えられています。
 
 館内展示物で撮影可能なのは、出土した宇豆柱だけです。古い染物の展示もありましたが、こちらも撮影禁止でした。しかたなく許可を得てお土産品をパチリ・・



古代出雲歴史博物館には、出雲大社関連以外にも、古い歴史書などが展示されています。中でも、出雲神話が記述された出雲国風土記に関する歴史書や関連資料が数多く展示されています。

出雲国風土記(いずものくにふどき)
 日本は、701年に唐の律令制(りつりょうせい)にならった大宝律令を制定し、天皇を頂点とする中央集権政治のしくみで律令国家をスタートさせました。その後、唐そのままの律令制では日本に合わないことが分かり、朝廷は60諸国に地方の現状が把握できる資料を提出する様、命令を出しました。その提出資料は書式がある行政文書形式で、郡の郡司が収集してまとめ、国造や国司が総括して朝廷に提出しました。この提出資料(地誌書)が古風土記(こふどき)とみられています。※国(令制国)は現在の県に相当し、郡は市に相当する行政の地理区分

古風土記は、幾つかのフォーマットで記述されています。
 ・地名には好ましい漢字を用いる事。
 ・山,川,原野の名を記し、その名の由来を記述。
 ・田畑の土の肥え具合を記述
 ・特産物や特産品(産物を加工したもの)を記述。
 ・古くから伝わる伝承を記述。
年表
701年 飛鳥時代 大宝(たいほう)元年 文武天皇(もんむてんのう)
713年 飛鳥時代 和銅(わどう)6年   元明天皇(げんめいてんのう)
717年 奈良時代 養老(ようろう)元年  元正天皇(げんしょうてんのう)
733年 奈良時代 天平(てんぴょう)5年 淳仁天皇(じゅんにんてんのう)
 個人的に知る古風土記は、地方の神話や古い伝承などを記した歴史書の様なイメージだったのですが、実際に作成されたものは、地方の情報をまとめた行政文書(ぎょうせいもんじょ)なのだそうです。
 現在、五つの国の写本された古風土記が複数現存し、出雲国風土記には、最も古い時代の写本が現存しているそうです。
※何れの国も、古風土記の原本は見つかっていません。

写本が現存する五国の古風土記
 ・出雲国風土記  原本713年作成〜733年に完成
 ・播磨国風土記  原本715〜716年頃完成
 ・常陸国風土記  原本717年以前に完成
 ・豊後国風土記  原本717年以降に完成
 ・肥前国風土記  原本717年以降に完成

交通案内
 #F074−92 JR出雲市駅  #F074−93 JR山陰本線
 F074−34 電鉄出雲市駅 一畑電車:松江温泉行き  #F074−35 出雲大社前駅 一畑電車:急行松江温泉行き 
 #F074−36 一畑電鉄 出雲大社前駅 ホーム  #F074−37 一畑電鉄 出雲大社前駅 駅舎
出雲市へのアクセス>島根県観光課情報>しまね観光ナビ・交通
一畑電鉄の電車本数は、上下とも1時間に1本ぐらいです。
  出雲大社前川跡(乗り換え)電鉄出雲市    |時刻表
  出雲大社前川跡(乗り換え)松江しんじ湖温泉|時刻表
一畑電鉄  一畑電車大社線
   出雲大社前駅━━━━┓
 電鉄出雲市駅━━━━[川跡駅]━━━━━松江しんじ湖温泉駅
            一畑電車北松江線 

出雲大社関連資料
国宝
1.本殿:
 本殿は瑞垣と玉垣に、二重に囲まれた中に鎮座します。日本で最古の神社建築様式の大社造りで、延享元年(1744)に造立されました。幅と奥行きが6間(10.9m)高さが8丈(24.2m)の大社(おおやしろ)です。古くは現在の倍の16丈(48.5m)、更に古くは32丈(約97m)もあったと伝えられています。
 屋根は切妻造り、妻入、総檜皮葺き(そうひわだぶき)です。棟(むね)にそびえる千木(ちぎ)は長さ7.8m、3本の勝男木(かつおぎ)の長さは5.4mあり、社(やしろ)に大きさと広がりを与えています。

2.秋野鹿蒔絵手箱(あきのしかまきえてばこ):
 檜(ひのき)の材でつくられた縦22.8cm×横29.7cm×高16cmの手箱。蓋表の図柄は萩と流水の間に鹿,空,鳥,に秋の虫を配し、精功な技法が見られます。
 

単位:
 1丈=10尺=303.03cm=3.0303m
 1間= 6尺=181.82cm=1.8182m

本殿の高さ:基礎の石から千木先端までの高さ24.2m
千木(ちぎ):
 主祭神が男神の時、先が垂直に切られたものを、女神の場合は水平に切られたものを付けるのが一般。出雲大社は全て垂直。
勝男木(かつおぎ):
 細長い樽状で、銅板で覆われている
 鰹木とも書く
 現在3本であるが、古い絵図では5本

注:人文社 ふるさとの文化遺産 郷土資料辞典32島根県 参考
まめ知識
1.出雲大社では、掲揚できるかたちでの日の丸国旗で、日本最大級
  のものが日々掲揚されている。縦8.7×横13.6m、畳74枚分
2.拝殿の大注連縄に圧倒されて拝殿で参拝を終える人がいるが、
  拝殿は新しい建物で、奥の本殿を参拝してこそ真の御利益がある?
3.メジャーな拝殿の大注連縄より、神楽殿の注連縄の方が遥かに
  大きい。
4.伊勢神宮と出雲大社
 伊勢神宮は、正式には単に神宮と呼ばれる日本最高位の神社で、高天原(たかまがはら)という天上から降りて来られた天津神(あまつかみ)と呼ばれる神々の中の、天照大御神が祀られた神社です。出雲大社は、元々この地の国土を治めていた国津神(くにつかみ)と呼ばれる神々の中の、大国主命が祀られた神社です。大国主命は、高天原から降りて来られた素戔嗚尊の六世の孫にあたります。古代最初の出雲大社の起こりは、天照大御神が大国主命から国を譲り受ける条件として、高天原に届くほどに高い宮殿を造立したと伝えられています。

※ネットで大社の国旗について調べて見ました。
  材質は日々掲揚するため、アクリル繊維を丈夫に縫製したもので、
  重さ約50Kg。掲揚塔の高さは平安大社48.5mより抑えた47m。

※拝殿大注連縄:太さ3m,長さ 8m,重さ1.5(他に6m,1tの記述)
  神楽殿注連縄:太さ8m,長さ13m,重さ約5
 

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