波積本郷に所在する熊野山岩瀧寺は現在は曹洞宗ですが、元来は真言宗であったとされています。大正年間に書写された寺伝には、 |
「夫当山ハ弘法大師ノ開創セル行脚旧跡ノ霊地ニシテ大師御自作ノ本尊大日如来及不動明王毘沙門尊天之三尊仏鎮座ノ道場也其 |
当時ハ真言宗ナリシモ中頃転ジテ禅臨済宗トナル中古の開基珠芳和尚文亀元年ヨリ四代を経天正ノ頃再転シテ今ノ禅曹洞宗トナリ
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長州荻ノ城下浜崎海潮寺十世通天正達大和尚ヲ請シテ当寺開山第一祖ト仰ギ・・・・・」とあり、弘法大師開創の伝承はさておくとしても、 |
真言宗から文亀元年(1501)に臨済宗、さらに天正年間(1573−1592)には曹洞宗へと転宗したことが窺われます。もっとも本尊の |
大日如来につきましては、明治十ニ年(1879)の寺院明細帳(島根県立図書館蔵)に「昔人ノ云伝永正年中ノ頃山崩口其節本尊而耳 |
ヲ堀出シ当尊像ハ行基之作ト云伝」とあって、行基作の伝承もあります。現在の慣行で興味深いのは「竹の子施食」です。四月二十九日 |
田植え前に行う施食供養で、波積地区全域から集まる参詣者に竹の子の煮染めの御斎が振る舞われます。 |
ところで岩瀧寺本堂背後の壮大な岩瀧寺滝を遠望できる山上には、熊野権現堂が建っています。寺伝によれば、天文十五年(1546) |
の「奉再建熊野十ニ所大権現」の棟札の写しが伝えられており、また高倉山八幡神社の宮司であった郷原衢による明治十四年(1881) |
の「棟札写並ニ紬書古蔵品古城跡古墳上帳扣エ」(江津市立図書館蔵写本)に、永正十一年(1514)の「奉再建熊野大権現宮社壇願 |
主大旦那多々良興之 景晃願主」の棟札が記録されています。いずれにせよ、熊野山という山号示唆しているように、中世以降,熊野 |
信仰との関連、さらには修験との関わりで当寺が創建されたと推測することも許されるでしょう。 |
また岩瀧寺滝に関しては、日照りに際して村人総出で滝壺の水替えをして龍神に降雨を祈願する雨乞いが行われました。熊野権現堂 |
内には「干口天保十五年甲辰七月甲辰三日当山納之置比ノ石ヘ当年長照ニ付請雨ノタメ村方一同立会滝ノ水ヲ汲替ヘ渕ノ底ヨリコレヲ |
揚コノ日即チ雨下テ地ヲウルヲス仍記焉」と刻まれた丸石が奉納されています。しかしこの水替えによる雨乞いも昭和十四年(1939)の |
大渇水を最後に、その後は行われていません。
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