願楽寺(がんぎょうじ) Fukutomi design office 元に戻る TOP画面
 金蓮山(こんれんざん)願楽寺は、文明3年(1471)浄念師によって開基されました。現在の本堂は、文化10年(1812)に再建されたもので、本尊は阿弥陀如来だそうです。また、山門(鐘楼門),経蔵は、弘化3年(1846)の建築です。庫裏(くり)の裏一面の庭園は、天明の大飢饉際、時の第11代住職・諦観師が、備蓄した籾(もみ)を放出して村人を救い、これに感謝した人々が、山の斜面を削り取って、庭園を造ったと伝えられています。その紫白庭(しはくてい)と名づけられた庭園は、サツキを中心にして、前面に心の字の池、左手に三段の滝組を配しています。きれいに切り込まれたサツキを断つように組まれた滝組みの右がアクセントになり、優美な中に力強い表現で見るものを魅了し、ツツジ,サツキの春と、紅葉の秋は殊のほか美しいそうです。※温泉津町観光協会説明板から引用 山号: 金蓮山   寺号: 願楽寺
宗名: 浄土真宗 本願寺派(西本願寺)
本尊: 阿弥陀如来
住所: 〒699−2513 島根県大田市温泉津町上村83
Tel: 0855−65−2425 e-mail:eメール
地図地図:Google
  
 #F121−1,−2 山門 撮影S10:2013/04/08  #F121−3,−4 山門 撮影S10:2013/04/08
 #F121−5 本堂 撮影S10:2013/04/08  #F121−6 本堂 撮影S10:2013/04/08
 #F121−7,−9,−11 撮影S10:2013/04/08  #F121−8,−10,−12 撮影S10:2013/04/08
大田市指定 記念物
名勝 願楽寺「紫白庭」 平成四年五月十一日指定
 この庭園は、およそ200年前の天明の飢饉の時、第十一代住職諦観師が、寺に保有してあった籾を放出して住民の飢えを救い、このことに感じた住民たちが、奉仕により造園したものである。
 庭園は、自然林を背景に、上部につつじ、下部にさつきを植え、左上方より斜に三段に滝を配している。滝からは前面の心字池に、年中絶えることなく清水がそそぎ、鯉が遊ぶ。
 つつじ、さつきの春から、初夏、秋のもみじの景色は近隣にその比を見ない名園である。
(形状及び大きさ)500平方メートル
大田市教育委員会 平成五年三月設置
紫白庭(しはくてい)
 金蓮山(こんれんざん)願楽寺(浄土真宗・本願寺派)は、文明三年(1,471)浄念の開基である。現在の本堂は、文化十年(1,812)に再建されたもので、本尊は阿弥陀如来である。又、山門(鐘楼門)は、弘化三年(1,846)の建築である。
 庫裏(くり)の裏一面の庭園は、天明の大飢饉際、時の第十一代住職・諦観師が、屋根裏の籾(もみ)を放出して村人を救い、これに感謝した人々が、山の斜面をけずりとり、この庭園を造ったと伝えられている。「紫白庭」と名づけられた庭園は、さつきを中心にして、前面に池、左手に三段の滝組を配する。きれいに切り込まれたさつきを断つように組まれた滝組みの右がアクセントになり、優美な中に力強い表現で見るものを魅きつける。
つつじ、さつきの春と、紅葉の秋は殊のほか美しい。
温泉津町観光協会
 #F121−13 撮影S10:2013/04/08 ---
願楽寺(がんぎょうじ)
宗名:浄土真宗 本願寺派(西本願寺)
寺号:金蓮山 願楽寺
本尊:阿弥陀如来

当山は、文明3年(1471)、浄念の開基である。
第11代の諦観の時、庫裏の天井裏に備蓄していたモミを炊き出して、住民は飢餓をまぬかれたという。庫裏うらに広がる庭園は、それに感じた住民の奉仕によって整えられたものである。
 文化10年(1813)本堂再建
 弘化03年(1846)鐘楼門・経蔵建立
 大正04年(1915)庫裏改築
 昭和57年(1982)本堂修復
 平成07年(1995)鐘楼門・経蔵修復
庭園は、「紫白庭」と名づけられ、自然林の山裾にさつき、つつじを中心に構成され、三段の滝から心の字の池を配し、山水に鯉が優雅に遊ぶ。春から初夏のつつじ、さつきと、秋のもみじの頃は特に美しい。


資料
   


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